2009年06月05日

横浜開港記念日 & 2002 ワールドカップの思い出

2005年9月から 2007年11月前半までのブログは
「 紀子の部屋 」 へどうぞ

横浜開港記念日


6月2日は 横浜開港記念日でした。
今年は 開港150周年なので 大きなイベントも沢山行われていて
毎年行われている花火大会も レーザー光線を使ったり 花火の前に
「 キマグレン 」 のコンサートが行われたりして 
とても にぎやかになりました。

150周年記念


横浜では 毎年3回 花火大会が開かれますが 
夏に先駆けて 最初に行われるのが この開港記念日の花火です。

その後 海の日と 8月1日の神奈川新聞花火大会が続きます。
でも 今年は 残念ながら 海の日の花火はないそうです。
( 警備の関係だそうです Y150イベントもやっているからね )  

キマグレン コンサート1500人のコーラス


お友達のマンションから 今年も堪能しました。
海に面した舞台では 夕方から 「 キマグレン 」 のコンサート 
( 翌日新聞を見たら 「 ゆず 」 も 途中で参加したそうです ) 
と 横浜市民による1500人の大合唱団のコンサートがありました。

花火


お部屋の中で おしゃべりに興じていた私でしたが
1500人の合唱団による 「 横浜市歌 」 が流れてきたので
ベランダにいた主人が私を呼んでくれて 1500人の大合唱に
合わせて 私も一緒に歌いました。
( この日のメンバーの中にもう一人浜っ子だった人がいて
その方も 全部 歌っていました )

以前もお話しましたが 浜っ子は 皆この横浜市歌が歌えます。
小学校のときに 何度も何度も歌っていたから みんなそらで
歌えるのです。

以前テレビの 「 秘密のケンミンショー 」 で
「 横浜市民は 皆 歌える歌がある 」 みたいな紹介を
していましたが アナウンサーが 浜っ子の芸能人に
「 ♪ わーがーひのもとは … 」 とマイクを向けると 
皆さん一様に ぎょっと驚いていましたが
すぐさま  「 しーまぐによ〜 」 と歌えるのです。
それも全員 確かに確実に 歌っていました。

アッキーナとか 出川哲郎 とか 数人に試していました。

やっぱり コレがなくちゃ 開港記念日とは言えないね〜
そうそう 成人式にも歌ったと 息子は言っていました。

大人になってから歌う機会がないけれど こんなに歳を取っても
皆、歌えるなんて本当にスゴイよね〜
森鴎外先生 ( 作詞 ) に感謝しなくちゃね。


さぁ 花火とレーザー光線のショーが始まりました。

2


音楽に合わせて レーザー光線と花火が上がるのですが 
最初はBGM見たいな感じで音楽が流れていましたが 次の曲は…

あっ! 私の大、大、大好きな曲だ!
というか 私にとって 思いで深い曲を選ぶとしたら 
3位以内に入るであろう その曲が流れてきたのです!

それは アンセム ( 音が出ます 、こちらはディスコバージョン ) 
ソニーミュージックより

この曲は 横浜にとっても忘れられない曲ですよね、この選曲に納得!

私にとっても チョー 忘れられない曲なのです。
なぜ私がこれほどこの曲が好きかというと…

話は長くなりますが その頃私は すごいサッカーファンで
( にわかファンでしたが ) 前回のフランス大会くらいから
ずっと応援していました。

( マリノスも近いしね。 )

予選もずっと応援していて 日本で開催されるなんて 一生にもう
チャンスはないから絶対見に行ってやるぞ〜 と意気込んでいました。

そして 大会より1年以上前 第一次チケット販売がありました。
確か 2001年2月くらいのことです。

第一次チケット販売は 郵便局から申込用紙をもらい 色々書き込み
応募するということで 早速郵便局で 大量に応募用紙をもらい
一人盛り上がっていた私は興奮して ( その日ちょうど小学校の
保護者会がありましたので そこで ) お友達の皆さんに 
その応募用紙を 配った記憶があります。
( それもかなり詳しく書き方の説明をして )

もらった方は たぶん うざい、うざ過ぎる… と思った事でしょう。

家でも 私の姉妹と父母を集めて そこでも応募用紙を渡し 
書き方など詳しくレクチャーした覚えがあります。

この一次販売は 全国区分と 試合開催市割り当て区分があり
横浜市民は 確か2つの区分で申し込めたように記憶しています。

レーザー光線12


絶対行きたかった私は その応募と共に 出せるだけ懸賞も
出していました。
コカコーラ キリンビール ジレット 野村證券 朝日新聞
ファミリーマート (?確か)などなど色々と応募していました。

一人、こつこつと 手紙職人もしていました。

家族はちょっと引き気味でしたが 絶対行きたかったのです。

サッカーの前は バレーボールに凝っていた時期があって 
男子も女子も よくテレビで応援していました。

ある日 品川プリンスホテルの 「 ハプナ 」 のバイキングに
行った時 やけに背の高い人たちが 大勢いるな〜と思ったら
なんと 全日本男子チームのメンバーがいるではありませんか〜

大好きな 南もいる〜  あの人は 大竹だ〜 荻野だ〜
と興奮していましたら
お友達が 「 よく知ってるね〜 」 と半ば呆れ顔で言ってました。
バレーボールって マイナーなのかしら???


そんな過去があったので 今回のサッカーも 思いは必ず通じると
せっせと応募していました。

3


そして ナントなんと 当たったのです!
それも 懸賞ではなくて 全国販売の方で!
( 当たったといっても タダではないのよ、 買えるってこと )

しかも 日本戦!
しかも 横浜国際総合競技場の チケットが4枚!
( 席はカテゴリー1、 確か1枚17000円だったと記憶 )

きゃ〜  やった〜〜〜〜〜

興奮興奮! 思いは通じるよね〜

でも 1年以上も先のことなんて みんな予定つくのかしら?

記名式で しかも転売も、もちろん禁止で みんな 
( 私ではなく あくまで みんな ) 先の予定大丈夫なのかしら?
と人事のように かなり上から目線で心配していたのんきな私でした。

まさか 私の身に 不測の事態が降りかかるとは その時には
知るよしもない私でした…

( ↓ 懐かしい2002年6月9日 対ロシア戦の様子 )

2002ワールドカップ6月9日対ロシア戦横浜国際総合競技場


その後ウキウキの私は 第二次販売 ( 確か電話で抽選番号をもらうという
システムで 電話がなかなかつながらないなどと 大変だったような、)
も余裕の態度で (チケット騒動の世間を) 見つめていたのでした。

それから 数ヶ月後 チケットの転売を防ぐため 
本人が身分証明書を持参して郵便局まで チケットをとりにいき 
ようやく まさしく銀色に光るプラチナチケットを入手したのです。

そして まさしくW杯開幕直前、 悪夢のような出来事が。。。

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5月初旬の人間ドックで 私の悪性リンパ腫が判明。
それもかなり悪いとのこと。。。即入院しなさいって言われて
いつもは気丈な私でしたが 道で出会った 仲良しさんの前では
泣いてしまった 気弱な私でした。 ( ←その頃は )
だって このまま何も治療しなければ 半年の命と言われたので。。。

病院では ベッドが空き次第 即、入院〜手術とのこと。
そして 5月下旬に入院 手術は 6月4日と決定しました。

う〜ん こんなこと考えていなかったよ〜
あんなに苦労してチケット、ゲットしたのに 
この私が行けないなんて〜


手術日の6月4日は 日本戦の第一試合、 日本対ベルギー戦
当初私は 手術後ベッドで観戦できるね、なんて 
気楽に構えていましたが なんのなんの 胸からおへその下まで 
30センチ以上もおなかを切ったので 全くそれどころではなく 
ベッドにも戻れず 処置室みたいなところで 気持ち悪いし傷も痛いしで
苦しい苦しいといって 一夜を過ごしたのでした。

ワールドカップどころではなく 本当に苦しい一晩でした。
家族は夜はもう帰リましたが 仲良しのお友達のご夫婦が夜に病院に
来てくださり うつらうつら苦しんでいる私を 励ましてくれました。
( 考えてみたら そのお友達ご夫妻は ワールドカップを
見逃したのではないかしら? 今気づきました。 
本当にごめんなさいね、 そして 本当にありがとうございました )

こんな感じのワールドカップだったので この曲は 私の人生の後半を
代表する思い出深い曲なのです。

そして 観戦予定の6月9日は まさしく入院中。
観戦者の変更もかなり厳しくて 両人の身分確認書類を提出しなくては
なりませんでしたが 私の分は長女に譲り 4枚の入場券でしたので 
私を除く家族4人で行ってもらうことにしたのです。

この曲を聞くと ベッドで 患者さんや看護婦さんと一緒に応援した
ワールドカップを思い出します。

あの6月9日 稲本が1点を入れた時 病院中から 
拍手が聞こえたんですよ!
それほど患者の皆さんも うれしくて もう消灯は過ぎていましたが
その日だけは お部屋の明かりもつけておいてくれて 皆さんで
「 よかったね〜 」 と喜びあいました。

懐かしい 懐かしい あの曲が 横浜開港150周年記念日に
花火と共に聞けたこと とてもうれしく感じました。
曲を聞きながら あの時は こんな今日の日が来るとは
思っていなかったので 少し涙も出ました。

本当に本当に うれしい花火でした。


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その後、花火とレーザー光線の曲は 「ボレロ」 に変わりましたが
なんか 「 ボレロ 」 って 横浜市に関係あったのかしら? 

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さて これにはもう一つ 続きのお話があって 試合当日 娘二人が
会場のある小机駅に到着した時に 取材の記者たちが 駅にも沢山いて
( チケットゆずってくさい みたいな看板を持った人たちが
たくさんいたので その取材のような ) その記者が 娘たちに
「 チケットはどうやって入手したの ? 」 と質問を
してきたそうなのです。

そこで娘二人が 母親が苦労して入手したこと でもその母親は
病魔に侵され 今 病室にいる事など 詳しく説明したそうなのです。

そしたら その記者は 「 いい話だね〜 その話 頂き! 」
みたいな調子良いこと言って 「 明日の朝刊に必ず載せるからね 」
と約束したと言うのです。

娘からも 「 おかあさん! 明日の朝刊に お母さんのこと
でるからね〜 」 と嬉しい メールをもらいましたが。。。

案の定、 やっぱり、 全く、 翌日の朝刊には 
一行も 私のことは記事になっていませんでした。。。  とさ。

全くいい加減だね〜
マスコミは。。。



今年のゴールデンウイークも 親戚一同で 湯西川温泉に行ったのだけれど
その時 佐野のインターで 佐野ラーメンを食べていた父に 
テレビ局のカメラが寄って来て 「 おじいちゃん、おいしいですか〜 」 
なんて聞くから 「 父はよく耳が聞こえないんです 」 
と私が答えたら そのカメラマン
「 おいしさは おじいちゃんのその食べっぷりで伝わってきますよ〜 
日曜日のサンデー○○という番組に 出ますのでよろしく! 」 
なんて 父に調子いいこと言って 去って行ったのです。

そして日曜日 期待してテレビを見ていたら
全く父は どこにも 映っていませんでした。 とほほ。。。

家族そろって早起きしてテレビ見たのに散々でした。



こんな感じで 2002私のワールドカップ日本大会は 
新聞記事になることもなく 過ぎていきました。。。

キルフェボンのケーキ


開港記念日 〜 チケット騒動記 
いつもながら 今回も長々と読んで頂き ありがとうございました。
お口直しに キルフェボンのケーキの写真で 楽しんでください。 


murakinoriko at 00:15│Comments(15)グルメ | 生活

この記事へのコメント

1. Posted by SEALOVE   2009年06月05日 15:18
みなとみらいの綺麗な花火と共に
想い出の2002日韓ワールドカップのお話がでるとは!
紀子様がサッカーファンだったなんて
お病気のこともあり想い出深いんですね!
半年と言われてお辛かったときから、
2006ドイツそして来年南アフリカのワールドカップです。
確実に時は流れています。
大きなイベントや歌と自分の歩みを重ね合わせながら 
これから先もサッカーの応援や京都の桜を何度も楽しみましょう

サッカーワールドカップでチョット思い出しました。
子供を乗せて塾に向かう車の中でテンションをあげる為に
RICKY MARTINが歌う「The Cup Of Life 」を聞かせていました。
フランス大会のオフィシャルソングでした。
2. Posted by miki   2009年06月05日 15:44
そんなドラマがあったんですね〜。
私はワールドカップの頃はタイにいたのですが、
日本はものすごい盛り上がりだったんでしょうねえ。

2002年にあと半年の命と宣告された紀子さんが、
今でもこうしてお元気でいるなんてすばらしいです!
周りの人たちも紀子さんから元気と勇気をもらっていることと思います。

花火も素敵ですね〜。横浜時代を思い出します。
でも横浜市の歌は知らなかったです!
しかも誰でも歌えるっていうところがすごい!
3. Posted by 13boys   2009年06月05日 19:30
初めて書きます  ゆずグレンのライブ初とテレビでききました

僕は、あんまりキマグレン好きでは、ありませんが

ゆずは、とっても好きです  やっぱりゆずの曲が良いからね!!!

横浜開港記念日に行きたいけど行けませんが
ゆずのライブに行きたいなぁ〜^−^

4. Posted by 布哇姫   2009年06月06日 07:35
紀子さま
 日韓合同開催のW杯の時に、
このような大変な出来事があったとは露知らず・・・。
さぞお辛かったことでしょう・・・。
何と言っていいのか言葉がありませんが、
こうして当時のことを振り返ることができるというのは、
本当にありがたいことですねぇ。
紀子さんのお心の強さと、温かなご家族の愛を感じます。
家族ってすばらしいですねぇ。。。。

 横浜は、じめじめとした季節が近づいていることでしょうけれど、
どうぞお体ご自愛なさってくださいませね。
5. Posted by ビビアン   2009年06月06日 16:19
2002年ワールドカップ騒動!!
笑ったり、ドキドキしたり楽しく読ませて頂きました。
(ご本人は苦しく辛い思いをしたのにゴメン!)
2009年にお元気で思い出話が出来て本当に良かったですね。
病院に駆けつけてくれたお友達ご夫婦は
多分ワールドカップは頭にはなかったと思いますよ!
これからも、何回も何回も桜が観れる事をお祈りしてます。

追伸
先日、アメリカの巨大苺を頂きましたが中はスカスカで水気もなく・・・
私みたいでした ゴメンね〜ゴメンね〜

6. Posted by 紀子   2009年06月06日 17:39
SEALOVEさま

いつもお優しいコメントを頂き ありがとうございます。

そうなんです、私 にわかスポーツファンの経験が多いのですよ。
熱しやすいのよ、何事にも。。。
バレーボールは 娘がバレーボール部だったからだし、
野球は 主人が広島出身で 熱烈広島ファンだからだし
サッカーは 息子の幼稚園の頃 皆、夢中でやってたでしょ?
そんなきっかけで 誰よりも夢中になって 熱中してしまいます。
家族は いつも引き気味よ!

お子さんモチベーションを上げるために 
スポーツの応援歌を聞かせるのは とてもいいですね。
盛り上がって なんでも出来る! 的な気分になりますからね。
効果は出ましたか?

ssealove様がおっしゃるように ワールドカップも、もう来年、
月日が経つのは 早いものですね〜
今度は 笑顔の思い出、作りたいものです。
7. Posted by 紀子   2009年06月06日 18:00
mikiさま

あの頃は タイにいらしたのでしたね。
( プーケットでしたか? )
私がプーケットに行ったのは 2001年春でしたので
もしかしたら 同じころだったのかもしれませんね。

私たち家族が泊まったのは バンタオ地区の
ラグーナビーチホテルでした。
2月だったので とても季節の良い時期で のんびりできました。
そのラグーナエリアのホテル ( シェラトングランデ、
バンヤンツリー、 アマンプリ など )
をみて アジアのビーチの素晴らしさと優雅さを知りました。

思い出深い 「 タイ 」 です。
タイのお話も また聞かせて下さいね。
ありがとうございました。
8. Posted by 紀子   2009年06月06日 18:06
13boys さま

はじめまして、 訪れていただきありがとうございます。
よろしくお願いします。

ゆずのファンなのですね。
新聞にも 「 ゆずグレン 」 と出ていましたね。

ゆずは 横浜のあちこちのイベントには 
よく登場しているようです。
いつか 13boys さんも 横浜にいらして下さいね。
どこかで会えるかもしれませんよ、ゆずに。
応援していれば かならず 会える機会がありますよ!
9. Posted by 紀子   2009年06月06日 18:14
布哇姫 さま

いつもご心配をおかけしています。
そうなんです、 こんな昔もあったのですよ。
でもね、 その頃はそう言われても 今の今まで
元気だったので とても信じられず このことは私と主人だけしか
( 家族の中では ) 認知していなかったのです。
でも お友達には 言っていたかもしれません。

私の病気は いつも医学の進歩とともに 
最善の治療が ちょうど見つかるという 運にも恵まれ
ここまできています。
だから 本当に 医学の進歩に感謝です!

ありがたい気持ちを忘れずに 毎日過ごさなくてはいけませんね。
( つい忘れそうになるんですが。。。 )

横浜は 梅雨入りしそうな この頃です。
布哇姫さまのところは 梅雨はないのですよね。

では お元気でお過ごしくださいね。
ありがとうございます。
10. Posted by Kumi   2009年06月06日 22:07
紀子さま、ご無沙汰してしまってごめんなさい。
京都旅行記、しっかり楽しませていただきました。

さて、今回はサッカーワールドカップのお話。。
チケット入手困難でしたよね。
うちも夫が家族分を申し込んでいたのを思い出しました。
もちろん見事にはずれました。
結局夫だけ協会からの入手で(夫はボランティアで少年サッカーのコーチしてるんですよ)
日本戦と、ベッカムのイングランド戦を観に行きました。

もう7年も前ことなんですね。
そして紀子さまの最初の入院も。
私も病気になって30年ぶりの同窓会に行けなかったなぁなんて思い出しました。
でも日本でのワールドカップはもう多分ないですもんね。
読んでいて私、悔しくなっちゃいました。。

ところで私もよくスポーツのにわかファンになります。
サッカーW杯の日本、強い時の阪神、
バスケットはあの田臥君が高校生の時、
秋田まで観に行ったこともあります^^;
11. Posted by 紀子   2009年06月06日 22:33
ビビアンさま

最初のころから私のブログを見てくださっているビビアン様は
私の病気の経緯をご存知ですので 私の事では 
いつもご心配をおかけしています。
最近の読者の方は 「 半年。。。 」とのお話を聞いて
びっくりなさったと思いますが あくまで何も治療をしなければ。。。
ということですので 驚かせてしまい申し訳ありません。。 
でもその頃 たまたま新しいお薬の認可が下りたばかりだったので
そのお薬のおかげで 悪性リンパ腫は 飛躍的に
延命されるようになったのです。
でも 今だに 完治ということはないようです。
ビビアン様へのコメントの場をお借りして 
説明させていただきました。

お見舞いに来て頂いた友人ご夫婦の事を
ビビアン様に そう言っていただき なんだかほっとしました。
ありがとうございます。

アメリカの巨大苺ってあるんですね〜
さすがビビアンさま、 私は始めて知りました。 
今日 アメリカンチェリーを食べましたが 
そちらは甘かったですよ。
12. Posted by 紀子   2009年06月06日 22:47
kumiさま

京都旅行記 だいぶ時がたってしまいましたが
なんとか完成しました。
読んで頂き ありがとうございます。

kumiさまは その後お出かけなさいましたか?
桜は 以前、吉野にも行かれていましたよね。
次回 私も ぜひ行ってみたい所です。

さてご主人様 W杯 行かれてよかったですね〜
試合を選ばなければ結構当たるチャンスがあったようですが
日本戦と ベッカム戦とは、
なかなか行った方はいないのではないかしら?
2つも試合を見られて その後の練習にも活かせましたね。

kumiさまの スポーツファンぶりには びっくり!
田臥勇太選手は 横浜出身なのですが 高校は秋田だったのですね。
そこまで応援に行ったなんて凄いですよ、
「 にわかファン 」 とは言えませんね〜

ところで今夜のテレビ、 W杯アジア地区最終予選
もうすぐですね、 
にわかファンの私は 観戦準備万端です。
一緒に応援しましょうね!   
13. Posted by i-niko   2009年06月07日 07:25
紀子さま、おはようございます♪

偶然に息子2が横浜開港の日に出張でそちらに行ってまして、
とても賑やかだったっと話してくれました。
仕事じゃなければ・・・と残念がってました。

02・6月は色々な事が重なって大変な年だったのですね!
不思議と大波のようにど〜んと来てしまう時期があるもので
(自分も何度か・・・)
でも、なんとかヨタヨタでも乗り越えてしまえば、
あとは小波ですから!!
私は価値観も変わって「感謝」することが増えたように思います。

ここだけ・・・話(笑)
昨日は息子2の未来のお嫁ちゃまがあいさつにきてくれました。
もう、知り合って8年・・・
私も高校生〜社会人と変化していく彼女を見ながら来ましたので、
半分娘のような気さえしています。
なので寂しくなくて「安心感?」で喜びが大きいです。
そして、なんとお嫁ちゃまが息子1に彼女がいることを
聞き出すことに成功して(笑)
私としてはそれも喜び!
(心配してましたが秘密主義なので・・苦笑)嬉しい1日でした。
とっても長くなってごめんなさい!ここだけでした。
14. Posted by 紀子   2009年06月07日 14:14
i-nikoさま

こんにちわ! いつもありがとうございます。
息子様 あの記念すべき日に 横浜出張だったのですね。
あの日は ブルーインパルスの模範飛行などがあって
昼間から とてもにぎわっていましたから 
大勢の人出に 驚かれたかもしれませんね。 

さて その息子様2のうれしい報告 そして 息子様1の
彼女発覚! う、う、 うれしい限りですね〜

最近は 草食系男子とかが多いそうで なかなか結婚まで
男性が 引っ張っていくことは 少ないような風潮と
聞いたことがありますが その中でこんなにしっかりと
報告が出来る息子さんは 素晴らしいですね。
i-nikoさまも これからお嬢様?ができて 
さぞ 生活が華やかになるのではないかしら?
楽しみですね、ふふふ。

あっ! これ 「 ここだけ話 」でしたね。
でも嬉しい報告を この場でして下さりありがとうございます。
皆さんとともに 祝福しています。
15. Posted by miki   2009年06月11日 16:25
プーケットには2001年の春にいらしていたんですね?
その頃私はモルジブでした。
2001年の10月からアマンプリに移動したので少しずれてますね。
バンタオ、なつかしい!
ラグーナとアマンプリの間バンタオビーチ近くに
住んでいたんですよ。

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