2009年06月12日
ハゲタカ & マンダリンオリエンタル東京
2005年9月から 2007年11月前半までのブログは
「 紀子の部屋 」 へどうぞ
梅雨に入りましたね。
我家のバラは コッコウバラが最初に咲いて そのあといろいろな種類の
ちいさなバラが咲きます。
↑のバラは 箱根のアルベルゴバンブーで頂いたものを
お庭の藪の中に飾ってみました、咲いているようでしょう?
そして バラが終わり アジサイが咲き始めました。
さて 少し前ですが 五月の終わりに 映画 「 ハゲタカ 」 の
試写に行ってきました。
先週の週末から公開されましたね、 「 ハゲタカ 」。
映画公開前に 日比谷の東宝の試写室で見る機会にめぐまれ
娘と行ってきましたが 朝の10時からというのに超満員です!
ぎりぎりに行った私達は 補助席に座るほど 大盛況でした。
「 ハゲタカ 」 のドラマは 最初にテレビで放送していた時には
見ていなかったのですが あまりに 周りの人がよかった!と
いうので 思い切って 再放送を見たのでした。
家人のまわりの金融関係の人の間では 第二の 「 愛るけ現象 」
のようになっていて 会社に行くと 「 きのうはすごかったね〜 」
「 そうそう、あの時も あんなだったね〜 」 とか
反響が凄かったらしいのです。
「 愛るけ( 愛の流刑地←日経新聞連載の小説 ) 」 の時にも
その職場では 皆さん会社に新聞を持っていってしまい
奥様たちが小説を読めないので 朝 必ずご主人に
「 新聞を持って帰ってきてよ! 」 とリクエストするという
社会現象?がありました。
私も 家人が新聞を持ち帰るのを待っていて 夜遅くに
読んだ覚えがありました。
その「 愛るけ 」 連載時も
「 今日は凄かったですね〜 」 みたいな会話が社内であったそうで
その時と同じように この ハゲタカも放送後の月曜日には
いつもその話が社内で 話題になっていたようです。
その時の家人の話では テレビの 「 ハゲタカ 」 の内容は
あながち作り物ではなく 現実だったような雰囲気だったそうです。
さて その続編? 映画 「 ハゲタカ 」です。
主な出演者は テレビと同じですので テレビで見た人は
かなり楽しめます。
でもはじめて見る人も それなりに違和感なく 楽しめるので
それが すごいな〜と驚きました。
また テレビの時ほど 内容が難しくないので
( テレビの時には用語がかなり難しくて
私には 理解できない部分が たびたびあったけれど… )
映画は 分かりやすく出来ています。
でもそれは この何年かの間に 世の中が 経済に敏感に
なってきて 経済用語や 経済の仕組みなど
詳しくテレビや新聞などで 取上げる機会が増えてきたので
こんな私にも 理解できるようになったのかも知れませんね。
さて 大森南朋がすてきです。 ( っていうより 鷲津さんが… )
でも今回 最初のシーンでは 少し太ったかしら? という気がして
前回の方が素敵だった、と思いましたが 最後のシーンでは
またスマートになっていてかなり素敵でした。
ちなみに私は いつもの大森南朋はあまり好きではありませんが
この鷲津さんは 好きです。 ( …って誰も聞いてないよね )
玉山鉄二も 良かったですよ。
NHKの「 天地人 」 でも素敵でしたが 最後、華姫と共に
自害するので残念な役でしたが 今回もまた最後は 切ない役でした。
二人とも 銀縁のメガネがとてもお似合いでした。
( 映画の最新ランキングでは ルーキーズ、 天使と悪魔に続き
3位に入っていましたね。 )
さて マンダリンオリエンタルホテルですが…
「 ハゲタカ 」 の中で 何度もこのホテルが登場するのです。
記者会見の場面では 何度も 「 マンダリンオリエンタルホテル 」
と言うので 映画には かなり協力しているようでした。
ですので 試写会が終わって さて昼をいただきましょうと
日比谷の街を見渡したら 真正面に 「 ペニンシュラ 」 が
そびえていたので そこに行きましょうか? とも思いましたが
やっぱり今日は マンダリンオリエンタルホテルに行きたいよね〜
となり 地下鉄で 映画の中で 記者会見が行われた会場のある
「 マンダリンオリエンタルホテル 」 まで出向き
2階の 「 ヴェンタリオ 」 でランチをいただきました。
こちらのランチは 前菜と デザートがビュッフェです。
私が頂いたのは ビュフェに パスタの付いている
2900円 + サ のコースです。
( この他に メインが付いているコースもありました )
前菜が すごくきれいに並べられています。
特に美味しかったのは この↓ 野菜チップスです!
私は 野菜チップスが大好きなので いくらでもいただけるこのチップスを
ぽりぽり 沢山いただきました。
おいしいのよ、すごく甘くて いくらでも食べられました。
この 「 ヴェンタリオ 」 は マンダリンオリエンタルホテル
でありながら 結構カジュアルな感じで しかも2階にあるので
重厚感はありませんが 吹き抜けが気持ちよく 適度に高級感もあり
きれいな方々で にぎわっていました。
気持ちよくいただけたのですが 最後にちょっと 残念なことが…
私達の目の前に シーザーサラダをチーズの器で混ぜて提供する
ワゴンがあったので ( それは ビュッフェ台とは離れていました)
私には サラダを提供しているスタッフの姿が目に入るのですが
途中から ほとんどサラダの提供がないような気がしました。
当初 入った時には 何組かのお客様に サラダを出していたり
テーブルには既に サラダのお皿が置いてあったりしていましたが
その後 ランチのお客さまも 2巡目に入っていて
これから食べる方が多かったのですが 私を含め いくつかの
テーブルには サラダがいきわたっている様子がないのです。
不審に思った私は パスタを食べ終わったときに 係りの方に
「 私の頼んだメニューには サラダは付いていないのですか? 」
と問うと 係りの方は
「 皆さんにお付けしています… 」 と言うんです。
その時の言い方は 「 …で何か? 」 見たいな感じで…
私のテーブルには出ていないので 見たら分かると思うのですが
「 それで? 」 見たいな態度で ずっと何も言わないのです。
ですから私が 「 私もいただきたいのですが… 」 と
いいましたら 「 はい では お持ちします 」 と…。
これって 何かいやな感じ。
もし全員に出しているのであれば
「 あっ お出ししていませんでしたか? 申し訳ありません 」
とかって言うでしょう?
失礼しました、 もないのです。
言わなければ 出さないつもりだよね〜 って雰囲気。
後で マネージャーみたいな人に お聞きしましたら
「 本当に申し訳ありませんでした 」と
丁寧に謝っていただきましたが その責任者風の方は
私たち以外のテーブルには きちんとサラダを出しているように
認識しているようで 「 どなたにもお出ししています。 」 と
言っていたので 私が
「 私が見た時には あまり出ているテーブルはなかった 」 と
食いさがりましたが
「 たぶん既にサラダの器をお下げしたところを お客様(私)は
見たのでしょう 」 と言われてしまいました。
とほほ。。。。。。
でも〜〜〜 そうかな〜 ???
この私が 目の前でサラダを提供しているところを
見逃すはずはありません、よね〜 (笑)
でもあちらがそう言うならば そう理解するしかありませんね。
私の眼力も とうとう落ちてきているってことかしら? がくっ!
でもこの件以外は とてもきれいだし 美味しいし、
また行きたいな〜 と感じる素敵なプチセレブ・ランチでした。
以前に行ったマンダリンオリエンタル東京の記事は こちらです。
( 以前の記事は お値段が既に変わっているかもしれません )
さてさて 最近目が疲れるので あまり長時間パソコンをやらないほうが
いいと思うのですが はじめると長くなって…
もう ずっと以前から 緑内障といわれている私です。
でも 眼圧も正常なので 視野が欠けなければ 今のところ大丈夫だと
いうことで 今は定期的に 検査に行っているという状態です。
ところが先日 急に 片方の目の半分くらいが 膜がかかってぼんやり
モヤモヤするようになってきたのです。
驚いて目医者さんに行くと 加齢で目のゼリー状のものが溶けて
水のようになり 今までピンと張っていた膜が はがれてきて
それが漂っている、ようなことを言われました。
( 緑内障とは 直接関係ないようで。。。 )
膜が全部はがれればいいようですが それまでは うっとうしいけれど
モヤモヤに慣れるしかないとのことでした。
結構 検査の時には 重病のような感じでしたが
要約するとこんな感じのことを 言われました。
大丈夫なのかしら? このままで…
視野の検査もしましたが 今回はまだ大丈夫のようでした。
全く 色々と 体に不具合が出来て いやになりますが
私の父も 会う人事に
「 いや〜 最近は片方の目が全く見えなくなって困りものですよ〜 」
と 元気に嬉しそうに 言っています。
先日も 会う人事に
「 最近は 全く歩けなくなって困ります。毎日整形、通いですよ〜 」
とこれまた嬉しそうに 自慢げに言っていました。
ちなみに整形外科には きちんと自分の足で歩いて行っています。
病気にもめげず 病気自慢の父ですが 私も父に似たのでしょう。
「 お母さんは 目が見えないのよ〜 」 と ちょっと脅かし気味に
家族に 病気自慢をしています。
( 家族は 今度はそっちかいっ! みたいなあきれ顔で驚かず )
まぁ 自分の体だから 上手に付き合っていくしかありませんね。
さて 最近は このブログも 読んで下さっている方の数が増えていて
とてもありがたい気持ちでいっぱいです。
目のこともあるので この先も少しずつになるかもしれませんが
気ままに続けていけたらばいいな〜 と思ってます。
ご心配をおかけしますが 精神面は? いたって元気ですので
安心してくださいね。
ただ 目薬を頻繁にさすので お化粧が出来ず 小さい目の私です。
では 次回は 箱根か 銀座か ミッドタウンか…
「 紀子の部屋 」 へどうぞ
梅雨に入りましたね。
我家のバラは コッコウバラが最初に咲いて そのあといろいろな種類の
ちいさなバラが咲きます。
↑のバラは 箱根のアルベルゴバンブーで頂いたものを
お庭の藪の中に飾ってみました、咲いているようでしょう?
そして バラが終わり アジサイが咲き始めました。
さて 少し前ですが 五月の終わりに 映画 「 ハゲタカ 」 の
試写に行ってきました。
先週の週末から公開されましたね、 「 ハゲタカ 」。
映画公開前に 日比谷の東宝の試写室で見る機会にめぐまれ
娘と行ってきましたが 朝の10時からというのに超満員です!
ぎりぎりに行った私達は 補助席に座るほど 大盛況でした。
「 ハゲタカ 」 のドラマは 最初にテレビで放送していた時には
見ていなかったのですが あまりに 周りの人がよかった!と
いうので 思い切って 再放送を見たのでした。
家人のまわりの金融関係の人の間では 第二の 「 愛るけ現象 」
のようになっていて 会社に行くと 「 きのうはすごかったね〜 」
「 そうそう、あの時も あんなだったね〜 」 とか
反響が凄かったらしいのです。
「 愛るけ( 愛の流刑地←日経新聞連載の小説 ) 」 の時にも
その職場では 皆さん会社に新聞を持っていってしまい
奥様たちが小説を読めないので 朝 必ずご主人に
「 新聞を持って帰ってきてよ! 」 とリクエストするという
社会現象?がありました。
私も 家人が新聞を持ち帰るのを待っていて 夜遅くに
読んだ覚えがありました。
その「 愛るけ 」 連載時も
「 今日は凄かったですね〜 」 みたいな会話が社内であったそうで
その時と同じように この ハゲタカも放送後の月曜日には
いつもその話が社内で 話題になっていたようです。
その時の家人の話では テレビの 「 ハゲタカ 」 の内容は
あながち作り物ではなく 現実だったような雰囲気だったそうです。
さて その続編? 映画 「 ハゲタカ 」です。
主な出演者は テレビと同じですので テレビで見た人は
かなり楽しめます。
でもはじめて見る人も それなりに違和感なく 楽しめるので
それが すごいな〜と驚きました。
また テレビの時ほど 内容が難しくないので
( テレビの時には用語がかなり難しくて
私には 理解できない部分が たびたびあったけれど… )
映画は 分かりやすく出来ています。
でもそれは この何年かの間に 世の中が 経済に敏感に
なってきて 経済用語や 経済の仕組みなど
詳しくテレビや新聞などで 取上げる機会が増えてきたので
こんな私にも 理解できるようになったのかも知れませんね。
さて 大森南朋がすてきです。 ( っていうより 鷲津さんが… )
でも今回 最初のシーンでは 少し太ったかしら? という気がして
前回の方が素敵だった、と思いましたが 最後のシーンでは
またスマートになっていてかなり素敵でした。
ちなみに私は いつもの大森南朋はあまり好きではありませんが
この鷲津さんは 好きです。 ( …って誰も聞いてないよね )
玉山鉄二も 良かったですよ。
NHKの「 天地人 」 でも素敵でしたが 最後、華姫と共に
自害するので残念な役でしたが 今回もまた最後は 切ない役でした。
二人とも 銀縁のメガネがとてもお似合いでした。
( 映画の最新ランキングでは ルーキーズ、 天使と悪魔に続き
3位に入っていましたね。 )
さて マンダリンオリエンタルホテルですが…
「 ハゲタカ 」 の中で 何度もこのホテルが登場するのです。
記者会見の場面では 何度も 「 マンダリンオリエンタルホテル 」
と言うので 映画には かなり協力しているようでした。
ですので 試写会が終わって さて昼をいただきましょうと
日比谷の街を見渡したら 真正面に 「 ペニンシュラ 」 が
そびえていたので そこに行きましょうか? とも思いましたが
やっぱり今日は マンダリンオリエンタルホテルに行きたいよね〜
となり 地下鉄で 映画の中で 記者会見が行われた会場のある
「 マンダリンオリエンタルホテル 」 まで出向き
2階の 「 ヴェンタリオ 」 でランチをいただきました。
こちらのランチは 前菜と デザートがビュッフェです。
私が頂いたのは ビュフェに パスタの付いている
2900円 + サ のコースです。
( この他に メインが付いているコースもありました )
前菜が すごくきれいに並べられています。
特に美味しかったのは この↓ 野菜チップスです!
私は 野菜チップスが大好きなので いくらでもいただけるこのチップスを
ぽりぽり 沢山いただきました。
おいしいのよ、すごく甘くて いくらでも食べられました。
この 「 ヴェンタリオ 」 は マンダリンオリエンタルホテル
でありながら 結構カジュアルな感じで しかも2階にあるので
重厚感はありませんが 吹き抜けが気持ちよく 適度に高級感もあり
きれいな方々で にぎわっていました。
気持ちよくいただけたのですが 最後にちょっと 残念なことが…
私達の目の前に シーザーサラダをチーズの器で混ぜて提供する
ワゴンがあったので ( それは ビュッフェ台とは離れていました)
私には サラダを提供しているスタッフの姿が目に入るのですが
途中から ほとんどサラダの提供がないような気がしました。
当初 入った時には 何組かのお客様に サラダを出していたり
テーブルには既に サラダのお皿が置いてあったりしていましたが
その後 ランチのお客さまも 2巡目に入っていて
これから食べる方が多かったのですが 私を含め いくつかの
テーブルには サラダがいきわたっている様子がないのです。
不審に思った私は パスタを食べ終わったときに 係りの方に
「 私の頼んだメニューには サラダは付いていないのですか? 」
と問うと 係りの方は
「 皆さんにお付けしています… 」 と言うんです。
その時の言い方は 「 …で何か? 」 見たいな感じで…
私のテーブルには出ていないので 見たら分かると思うのですが
「 それで? 」 見たいな態度で ずっと何も言わないのです。
ですから私が 「 私もいただきたいのですが… 」 と
いいましたら 「 はい では お持ちします 」 と…。
これって 何かいやな感じ。
もし全員に出しているのであれば
「 あっ お出ししていませんでしたか? 申し訳ありません 」
とかって言うでしょう?
失礼しました、 もないのです。
言わなければ 出さないつもりだよね〜 って雰囲気。
後で マネージャーみたいな人に お聞きしましたら
「 本当に申し訳ありませんでした 」と
丁寧に謝っていただきましたが その責任者風の方は
私たち以外のテーブルには きちんとサラダを出しているように
認識しているようで 「 どなたにもお出ししています。 」 と
言っていたので 私が
「 私が見た時には あまり出ているテーブルはなかった 」 と
食いさがりましたが
「 たぶん既にサラダの器をお下げしたところを お客様(私)は
見たのでしょう 」 と言われてしまいました。
とほほ。。。。。。
でも〜〜〜 そうかな〜 ???
この私が 目の前でサラダを提供しているところを
見逃すはずはありません、よね〜 (笑)
でもあちらがそう言うならば そう理解するしかありませんね。
私の眼力も とうとう落ちてきているってことかしら? がくっ!
でもこの件以外は とてもきれいだし 美味しいし、
また行きたいな〜 と感じる素敵なプチセレブ・ランチでした。
以前に行ったマンダリンオリエンタル東京の記事は こちらです。
( 以前の記事は お値段が既に変わっているかもしれません )
さてさて 最近目が疲れるので あまり長時間パソコンをやらないほうが
いいと思うのですが はじめると長くなって…
もう ずっと以前から 緑内障といわれている私です。
でも 眼圧も正常なので 視野が欠けなければ 今のところ大丈夫だと
いうことで 今は定期的に 検査に行っているという状態です。
ところが先日 急に 片方の目の半分くらいが 膜がかかってぼんやり
モヤモヤするようになってきたのです。
驚いて目医者さんに行くと 加齢で目のゼリー状のものが溶けて
水のようになり 今までピンと張っていた膜が はがれてきて
それが漂っている、ようなことを言われました。
( 緑内障とは 直接関係ないようで。。。 )
膜が全部はがれればいいようですが それまでは うっとうしいけれど
モヤモヤに慣れるしかないとのことでした。
結構 検査の時には 重病のような感じでしたが
要約するとこんな感じのことを 言われました。
大丈夫なのかしら? このままで…
視野の検査もしましたが 今回はまだ大丈夫のようでした。
全く 色々と 体に不具合が出来て いやになりますが
私の父も 会う人事に
「 いや〜 最近は片方の目が全く見えなくなって困りものですよ〜 」
と 元気に嬉しそうに 言っています。
先日も 会う人事に
「 最近は 全く歩けなくなって困ります。毎日整形、通いですよ〜 」
とこれまた嬉しそうに 自慢げに言っていました。
ちなみに整形外科には きちんと自分の足で歩いて行っています。
病気にもめげず 病気自慢の父ですが 私も父に似たのでしょう。
「 お母さんは 目が見えないのよ〜 」 と ちょっと脅かし気味に
家族に 病気自慢をしています。
( 家族は 今度はそっちかいっ! みたいなあきれ顔で驚かず )
まぁ 自分の体だから 上手に付き合っていくしかありませんね。
さて 最近は このブログも 読んで下さっている方の数が増えていて
とてもありがたい気持ちでいっぱいです。
目のこともあるので この先も少しずつになるかもしれませんが
気ままに続けていけたらばいいな〜 と思ってます。
ご心配をおかけしますが 精神面は? いたって元気ですので
安心してくださいね。
ただ 目薬を頻繁にさすので お化粧が出来ず 小さい目の私です。
では 次回は 箱根か 銀座か ミッドタウンか…
2009年06月05日
横浜開港記念日 & 2002 ワールドカップの思い出
2005年9月から 2007年11月前半までのブログは
「 紀子の部屋 」 へどうぞ
6月2日は 横浜開港記念日でした。
今年は 開港150周年なので 大きなイベントも沢山行われていて
毎年行われている花火大会も レーザー光線を使ったり 花火の前に
「 キマグレン 」 のコンサートが行われたりして
とても にぎやかになりました。
横浜では 毎年3回 花火大会が開かれますが
夏に先駆けて 最初に行われるのが この開港記念日の花火です。
その後 海の日と 8月1日の神奈川新聞花火大会が続きます。
でも 今年は 残念ながら 海の日の花火はないそうです。
( 警備の関係だそうです Y150イベントもやっているからね )
お友達のマンションから 今年も堪能しました。
海に面した舞台では 夕方から 「 キマグレン 」 のコンサート
( 翌日新聞を見たら 「 ゆず 」 も 途中で参加したそうです )
と 横浜市民による1500人の大合唱団のコンサートがありました。
お部屋の中で おしゃべりに興じていた私でしたが
1500人の合唱団による 「 横浜市歌 」 が流れてきたので
ベランダにいた主人が私を呼んでくれて 1500人の大合唱に
合わせて 私も一緒に歌いました。
( この日のメンバーの中にもう一人浜っ子だった人がいて
その方も 全部 歌っていました )
以前もお話しましたが 浜っ子は 皆この横浜市歌が歌えます。
小学校のときに 何度も何度も歌っていたから みんなそらで
歌えるのです。
以前テレビの 「 秘密のケンミンショー 」 で
「 横浜市民は 皆 歌える歌がある 」 みたいな紹介を
していましたが アナウンサーが 浜っ子の芸能人に
「 ♪ わーがーひのもとは … 」 とマイクを向けると
皆さん一様に ぎょっと驚いていましたが
すぐさま 「 しーまぐによ〜 」 と歌えるのです。
それも全員 確かに確実に 歌っていました。
アッキーナとか 出川哲郎 とか 数人に試していました。
やっぱり コレがなくちゃ 開港記念日とは言えないね〜
そうそう 成人式にも歌ったと 息子は言っていました。
大人になってから歌う機会がないけれど こんなに歳を取っても
皆、歌えるなんて本当にスゴイよね〜
森鴎外先生 ( 作詞 ) に感謝しなくちゃね。
さぁ 花火とレーザー光線のショーが始まりました。
音楽に合わせて レーザー光線と花火が上がるのですが
最初はBGM見たいな感じで音楽が流れていましたが 次の曲は…
あっ! 私の大、大、大好きな曲だ!
というか 私にとって 思いで深い曲を選ぶとしたら
3位以内に入るであろう その曲が流れてきたのです!
それは アンセム ( 音が出ます 、こちらはディスコバージョン )
ソニーミュージックより
この曲は 横浜にとっても忘れられない曲ですよね、この選曲に納得!
私にとっても チョー 忘れられない曲なのです。
なぜ私がこれほどこの曲が好きかというと…
話は長くなりますが その頃私は すごいサッカーファンで
( にわかファンでしたが ) 前回のフランス大会くらいから
ずっと応援していました。
( マリノスも近いしね。 )
予選もずっと応援していて 日本で開催されるなんて 一生にもう
チャンスはないから絶対見に行ってやるぞ〜 と意気込んでいました。
そして 大会より1年以上前 第一次チケット販売がありました。
確か 2001年2月くらいのことです。
第一次チケット販売は 郵便局から申込用紙をもらい 色々書き込み
応募するということで 早速郵便局で 大量に応募用紙をもらい
一人盛り上がっていた私は興奮して ( その日ちょうど小学校の
保護者会がありましたので そこで ) お友達の皆さんに
その応募用紙を 配った記憶があります。
( それもかなり詳しく書き方の説明をして )
もらった方は たぶん うざい、うざ過ぎる… と思った事でしょう。
家でも 私の姉妹と父母を集めて そこでも応募用紙を渡し
書き方など詳しくレクチャーした覚えがあります。
この一次販売は 全国区分と 試合開催市割り当て区分があり
横浜市民は 確か2つの区分で申し込めたように記憶しています。
絶対行きたかった私は その応募と共に 出せるだけ懸賞も
出していました。
コカコーラ キリンビール ジレット 野村證券 朝日新聞
ファミリーマート (?確か)などなど色々と応募していました。
一人、こつこつと 手紙職人もしていました。
家族はちょっと引き気味でしたが 絶対行きたかったのです。
サッカーの前は バレーボールに凝っていた時期があって
男子も女子も よくテレビで応援していました。
ある日 品川プリンスホテルの 「 ハプナ 」 のバイキングに
行った時 やけに背の高い人たちが 大勢いるな〜と思ったら
なんと 全日本男子チームのメンバーがいるではありませんか〜
大好きな 南もいる〜 あの人は 大竹だ〜 荻野だ〜
と興奮していましたら
お友達が 「 よく知ってるね〜 」 と半ば呆れ顔で言ってました。
バレーボールって マイナーなのかしら???
そんな過去があったので 今回のサッカーも 思いは必ず通じると
せっせと応募していました。
そして ナントなんと 当たったのです!
それも 懸賞ではなくて 全国販売の方で!
( 当たったといっても タダではないのよ、 買えるってこと )
しかも 日本戦!
しかも 横浜国際総合競技場の チケットが4枚!
( 席はカテゴリー1、 確か1枚17000円だったと記憶 )
きゃ〜 やった〜〜〜〜〜
興奮興奮! 思いは通じるよね〜
でも 1年以上も先のことなんて みんな予定つくのかしら?
記名式で しかも転売も、もちろん禁止で みんな
( 私ではなく あくまで みんな ) 先の予定大丈夫なのかしら?
と人事のように かなり上から目線で心配していたのんきな私でした。
まさか 私の身に 不測の事態が降りかかるとは その時には
知るよしもない私でした…
( ↓ 懐かしい2002年6月9日 対ロシア戦の様子 )
その後ウキウキの私は 第二次販売 ( 確か電話で抽選番号をもらうという
システムで 電話がなかなかつながらないなどと 大変だったような、)
も余裕の態度で (チケット騒動の世間を) 見つめていたのでした。
それから 数ヶ月後 チケットの転売を防ぐため
本人が身分証明書を持参して郵便局まで チケットをとりにいき
ようやく まさしく銀色に光るプラチナチケットを入手したのです。
そして まさしくW杯開幕直前、 悪夢のような出来事が。。。
5月初旬の人間ドックで 私の悪性リンパ腫が判明。
それもかなり悪いとのこと。。。即入院しなさいって言われて
いつもは気丈な私でしたが 道で出会った 仲良しさんの前では
泣いてしまった 気弱な私でした。 ( ←その頃は )
だって このまま何も治療しなければ 半年の命と言われたので。。。
病院では ベッドが空き次第 即、入院〜手術とのこと。
そして 5月下旬に入院 手術は 6月4日と決定しました。
う〜ん こんなこと考えていなかったよ〜
あんなに苦労してチケット、ゲットしたのに
この私が行けないなんて〜
手術日の6月4日は 日本戦の第一試合、 日本対ベルギー戦
当初私は 手術後ベッドで観戦できるね、なんて
気楽に構えていましたが なんのなんの 胸からおへその下まで
30センチ以上もおなかを切ったので 全くそれどころではなく
ベッドにも戻れず 処置室みたいなところで 気持ち悪いし傷も痛いしで
苦しい苦しいといって 一夜を過ごしたのでした。
ワールドカップどころではなく 本当に苦しい一晩でした。
家族は夜はもう帰リましたが 仲良しのお友達のご夫婦が夜に病院に
来てくださり うつらうつら苦しんでいる私を 励ましてくれました。
( 考えてみたら そのお友達ご夫妻は ワールドカップを
見逃したのではないかしら? 今気づきました。
本当にごめんなさいね、 そして 本当にありがとうございました )
こんな感じのワールドカップだったので この曲は 私の人生の後半を
代表する思い出深い曲なのです。
そして 観戦予定の6月9日は まさしく入院中。
観戦者の変更もかなり厳しくて 両人の身分確認書類を提出しなくては
なりませんでしたが 私の分は長女に譲り 4枚の入場券でしたので
私を除く家族4人で行ってもらうことにしたのです。
この曲を聞くと ベッドで 患者さんや看護婦さんと一緒に応援した
ワールドカップを思い出します。
あの6月9日 稲本が1点を入れた時 病院中から
拍手が聞こえたんですよ!
それほど患者の皆さんも うれしくて もう消灯は過ぎていましたが
その日だけは お部屋の明かりもつけておいてくれて 皆さんで
「 よかったね〜 」 と喜びあいました。
懐かしい 懐かしい あの曲が 横浜開港150周年記念日に
花火と共に聞けたこと とてもうれしく感じました。
曲を聞きながら あの時は こんな今日の日が来るとは
思っていなかったので 少し涙も出ました。
本当に本当に うれしい花火でした。
その後、花火とレーザー光線の曲は 「ボレロ」 に変わりましたが
なんか 「 ボレロ 」 って 横浜市に関係あったのかしら?
さて これにはもう一つ 続きのお話があって 試合当日 娘二人が
会場のある小机駅に到着した時に 取材の記者たちが 駅にも沢山いて
( チケットゆずってくさい みたいな看板を持った人たちが
たくさんいたので その取材のような ) その記者が 娘たちに
「 チケットはどうやって入手したの ? 」 と質問を
してきたそうなのです。
そこで娘二人が 母親が苦労して入手したこと でもその母親は
病魔に侵され 今 病室にいる事など 詳しく説明したそうなのです。
そしたら その記者は 「 いい話だね〜 その話 頂き! 」
みたいな調子良いこと言って 「 明日の朝刊に必ず載せるからね 」
と約束したと言うのです。
娘からも 「 おかあさん! 明日の朝刊に お母さんのこと
でるからね〜 」 と嬉しい メールをもらいましたが。。。
案の定、 やっぱり、 全く、 翌日の朝刊には
一行も 私のことは記事になっていませんでした。。。 とさ。
全くいい加減だね〜
マスコミは。。。
今年のゴールデンウイークも 親戚一同で 湯西川温泉に行ったのだけれど
その時 佐野のインターで 佐野ラーメンを食べていた父に
テレビ局のカメラが寄って来て 「 おじいちゃん、おいしいですか〜 」
なんて聞くから 「 父はよく耳が聞こえないんです 」
と私が答えたら そのカメラマン
「 おいしさは おじいちゃんのその食べっぷりで伝わってきますよ〜
日曜日のサンデー○○という番組に 出ますのでよろしく! 」
なんて 父に調子いいこと言って 去って行ったのです。
そして日曜日 期待してテレビを見ていたら
全く父は どこにも 映っていませんでした。 とほほ。。。
家族そろって早起きしてテレビ見たのに散々でした。
こんな感じで 2002私のワールドカップ日本大会は
新聞記事になることもなく 過ぎていきました。。。
開港記念日 〜 チケット騒動記
いつもながら 今回も長々と読んで頂き ありがとうございました。
お口直しに キルフェボンのケーキの写真で 楽しんでください。
「 紀子の部屋 」 へどうぞ
6月2日は 横浜開港記念日でした。
今年は 開港150周年なので 大きなイベントも沢山行われていて
毎年行われている花火大会も レーザー光線を使ったり 花火の前に
「 キマグレン 」 のコンサートが行われたりして
とても にぎやかになりました。
横浜では 毎年3回 花火大会が開かれますが
夏に先駆けて 最初に行われるのが この開港記念日の花火です。
その後 海の日と 8月1日の神奈川新聞花火大会が続きます。
でも 今年は 残念ながら 海の日の花火はないそうです。
( 警備の関係だそうです Y150イベントもやっているからね )
お友達のマンションから 今年も堪能しました。
海に面した舞台では 夕方から 「 キマグレン 」 のコンサート
( 翌日新聞を見たら 「 ゆず 」 も 途中で参加したそうです )
と 横浜市民による1500人の大合唱団のコンサートがありました。
お部屋の中で おしゃべりに興じていた私でしたが
1500人の合唱団による 「 横浜市歌 」 が流れてきたので
ベランダにいた主人が私を呼んでくれて 1500人の大合唱に
合わせて 私も一緒に歌いました。
( この日のメンバーの中にもう一人浜っ子だった人がいて
その方も 全部 歌っていました )
以前もお話しましたが 浜っ子は 皆この横浜市歌が歌えます。
小学校のときに 何度も何度も歌っていたから みんなそらで
歌えるのです。
以前テレビの 「 秘密のケンミンショー 」 で
「 横浜市民は 皆 歌える歌がある 」 みたいな紹介を
していましたが アナウンサーが 浜っ子の芸能人に
「 ♪ わーがーひのもとは … 」 とマイクを向けると
皆さん一様に ぎょっと驚いていましたが
すぐさま 「 しーまぐによ〜 」 と歌えるのです。
それも全員 確かに確実に 歌っていました。
アッキーナとか 出川哲郎 とか 数人に試していました。
やっぱり コレがなくちゃ 開港記念日とは言えないね〜
そうそう 成人式にも歌ったと 息子は言っていました。
大人になってから歌う機会がないけれど こんなに歳を取っても
皆、歌えるなんて本当にスゴイよね〜
森鴎外先生 ( 作詞 ) に感謝しなくちゃね。
さぁ 花火とレーザー光線のショーが始まりました。
音楽に合わせて レーザー光線と花火が上がるのですが
最初はBGM見たいな感じで音楽が流れていましたが 次の曲は…
あっ! 私の大、大、大好きな曲だ!
というか 私にとって 思いで深い曲を選ぶとしたら
3位以内に入るであろう その曲が流れてきたのです!
それは アンセム ( 音が出ます 、こちらはディスコバージョン )
ソニーミュージックより
この曲は 横浜にとっても忘れられない曲ですよね、この選曲に納得!
私にとっても チョー 忘れられない曲なのです。
なぜ私がこれほどこの曲が好きかというと…
話は長くなりますが その頃私は すごいサッカーファンで
( にわかファンでしたが ) 前回のフランス大会くらいから
ずっと応援していました。
( マリノスも近いしね。 )
予選もずっと応援していて 日本で開催されるなんて 一生にもう
チャンスはないから絶対見に行ってやるぞ〜 と意気込んでいました。
そして 大会より1年以上前 第一次チケット販売がありました。
確か 2001年2月くらいのことです。
第一次チケット販売は 郵便局から申込用紙をもらい 色々書き込み
応募するということで 早速郵便局で 大量に応募用紙をもらい
一人盛り上がっていた私は興奮して ( その日ちょうど小学校の
保護者会がありましたので そこで ) お友達の皆さんに
その応募用紙を 配った記憶があります。
( それもかなり詳しく書き方の説明をして )
もらった方は たぶん うざい、うざ過ぎる… と思った事でしょう。
家でも 私の姉妹と父母を集めて そこでも応募用紙を渡し
書き方など詳しくレクチャーした覚えがあります。
この一次販売は 全国区分と 試合開催市割り当て区分があり
横浜市民は 確か2つの区分で申し込めたように記憶しています。
絶対行きたかった私は その応募と共に 出せるだけ懸賞も
出していました。
コカコーラ キリンビール ジレット 野村證券 朝日新聞
ファミリーマート (?確か)などなど色々と応募していました。
一人、こつこつと 手紙職人もしていました。
家族はちょっと引き気味でしたが 絶対行きたかったのです。
サッカーの前は バレーボールに凝っていた時期があって
男子も女子も よくテレビで応援していました。
ある日 品川プリンスホテルの 「 ハプナ 」 のバイキングに
行った時 やけに背の高い人たちが 大勢いるな〜と思ったら
なんと 全日本男子チームのメンバーがいるではありませんか〜
大好きな 南もいる〜 あの人は 大竹だ〜 荻野だ〜
と興奮していましたら
お友達が 「 よく知ってるね〜 」 と半ば呆れ顔で言ってました。
バレーボールって マイナーなのかしら???
そんな過去があったので 今回のサッカーも 思いは必ず通じると
せっせと応募していました。
そして ナントなんと 当たったのです!
それも 懸賞ではなくて 全国販売の方で!
( 当たったといっても タダではないのよ、 買えるってこと )
しかも 日本戦!
しかも 横浜国際総合競技場の チケットが4枚!
( 席はカテゴリー1、 確か1枚17000円だったと記憶 )
きゃ〜 やった〜〜〜〜〜
興奮興奮! 思いは通じるよね〜
でも 1年以上も先のことなんて みんな予定つくのかしら?
記名式で しかも転売も、もちろん禁止で みんな
( 私ではなく あくまで みんな ) 先の予定大丈夫なのかしら?
と人事のように かなり上から目線で心配していたのんきな私でした。
まさか 私の身に 不測の事態が降りかかるとは その時には
知るよしもない私でした…
( ↓ 懐かしい2002年6月9日 対ロシア戦の様子 )
その後ウキウキの私は 第二次販売 ( 確か電話で抽選番号をもらうという
システムで 電話がなかなかつながらないなどと 大変だったような、)
も余裕の態度で (チケット騒動の世間を) 見つめていたのでした。
それから 数ヶ月後 チケットの転売を防ぐため
本人が身分証明書を持参して郵便局まで チケットをとりにいき
ようやく まさしく銀色に光るプラチナチケットを入手したのです。
そして まさしくW杯開幕直前、 悪夢のような出来事が。。。
5月初旬の人間ドックで 私の悪性リンパ腫が判明。
それもかなり悪いとのこと。。。即入院しなさいって言われて
いつもは気丈な私でしたが 道で出会った 仲良しさんの前では
泣いてしまった 気弱な私でした。 ( ←その頃は )
だって このまま何も治療しなければ 半年の命と言われたので。。。
病院では ベッドが空き次第 即、入院〜手術とのこと。
そして 5月下旬に入院 手術は 6月4日と決定しました。
う〜ん こんなこと考えていなかったよ〜
あんなに苦労してチケット、ゲットしたのに
この私が行けないなんて〜
手術日の6月4日は 日本戦の第一試合、 日本対ベルギー戦
当初私は 手術後ベッドで観戦できるね、なんて
気楽に構えていましたが なんのなんの 胸からおへその下まで
30センチ以上もおなかを切ったので 全くそれどころではなく
ベッドにも戻れず 処置室みたいなところで 気持ち悪いし傷も痛いしで
苦しい苦しいといって 一夜を過ごしたのでした。
ワールドカップどころではなく 本当に苦しい一晩でした。
家族は夜はもう帰リましたが 仲良しのお友達のご夫婦が夜に病院に
来てくださり うつらうつら苦しんでいる私を 励ましてくれました。
( 考えてみたら そのお友達ご夫妻は ワールドカップを
見逃したのではないかしら? 今気づきました。
本当にごめんなさいね、 そして 本当にありがとうございました )
こんな感じのワールドカップだったので この曲は 私の人生の後半を
代表する思い出深い曲なのです。
そして 観戦予定の6月9日は まさしく入院中。
観戦者の変更もかなり厳しくて 両人の身分確認書類を提出しなくては
なりませんでしたが 私の分は長女に譲り 4枚の入場券でしたので
私を除く家族4人で行ってもらうことにしたのです。
この曲を聞くと ベッドで 患者さんや看護婦さんと一緒に応援した
ワールドカップを思い出します。
あの6月9日 稲本が1点を入れた時 病院中から
拍手が聞こえたんですよ!
それほど患者の皆さんも うれしくて もう消灯は過ぎていましたが
その日だけは お部屋の明かりもつけておいてくれて 皆さんで
「 よかったね〜 」 と喜びあいました。
懐かしい 懐かしい あの曲が 横浜開港150周年記念日に
花火と共に聞けたこと とてもうれしく感じました。
曲を聞きながら あの時は こんな今日の日が来るとは
思っていなかったので 少し涙も出ました。
本当に本当に うれしい花火でした。
その後、花火とレーザー光線の曲は 「ボレロ」 に変わりましたが
なんか 「 ボレロ 」 って 横浜市に関係あったのかしら?
さて これにはもう一つ 続きのお話があって 試合当日 娘二人が
会場のある小机駅に到着した時に 取材の記者たちが 駅にも沢山いて
( チケットゆずってくさい みたいな看板を持った人たちが
たくさんいたので その取材のような ) その記者が 娘たちに
「 チケットはどうやって入手したの ? 」 と質問を
してきたそうなのです。
そこで娘二人が 母親が苦労して入手したこと でもその母親は
病魔に侵され 今 病室にいる事など 詳しく説明したそうなのです。
そしたら その記者は 「 いい話だね〜 その話 頂き! 」
みたいな調子良いこと言って 「 明日の朝刊に必ず載せるからね 」
と約束したと言うのです。
娘からも 「 おかあさん! 明日の朝刊に お母さんのこと
でるからね〜 」 と嬉しい メールをもらいましたが。。。
案の定、 やっぱり、 全く、 翌日の朝刊には
一行も 私のことは記事になっていませんでした。。。 とさ。
全くいい加減だね〜
マスコミは。。。
今年のゴールデンウイークも 親戚一同で 湯西川温泉に行ったのだけれど
その時 佐野のインターで 佐野ラーメンを食べていた父に
テレビ局のカメラが寄って来て 「 おじいちゃん、おいしいですか〜 」
なんて聞くから 「 父はよく耳が聞こえないんです 」
と私が答えたら そのカメラマン
「 おいしさは おじいちゃんのその食べっぷりで伝わってきますよ〜
日曜日のサンデー○○という番組に 出ますのでよろしく! 」
なんて 父に調子いいこと言って 去って行ったのです。
そして日曜日 期待してテレビを見ていたら
全く父は どこにも 映っていませんでした。 とほほ。。。
家族そろって早起きしてテレビ見たのに散々でした。
こんな感じで 2002私のワールドカップ日本大会は
新聞記事になることもなく 過ぎていきました。。。
開港記念日 〜 チケット騒動記
いつもながら 今回も長々と読んで頂き ありがとうございました。
お口直しに キルフェボンのケーキの写真で 楽しんでください。
2009年05月30日
2009 京都桜旅行 三日目 ( 平安神宮 粟田山荘 )
2005年9月から 2007年11月前半までのブログは
「 紀子の部屋 」 へどうぞ
長らく引っ張っています 京都桜旅行 今回が最終回です。
2日目のホテル予約は 近畿日本ツーリスト経由でしたので
ホテルの朝食が付いていました。
桜が望めるフロアーで フルーツ中心の朝食を頂いて さぁ出発です。
この日は土曜日だったので 京都の街中は大混雑!
バスで 平安神宮まで行ったのですが そのバスの中も大混雑!
京都駅からの大勢の観光客で バスの中はすでに身動きできないほど
でしたが 無理やり乗り込んだ私たち、 汗びっしょりになるほどで
既に 車中でぐったりの私でした。
私たちは 琵琶湖疎水に咲く桜を見ながら行きたかったので
一つ手前のバス停で降りましたが 降りるのも大変でした。
今を盛りの岡崎の桜が咲き誇っている琵琶湖疎水を見ながら
参道を北へすすみます。
鳥居をくぐった先にある公園に咲いていた 見事な桜!
きれい! 青空に映えて なおきれい!
ちょうど 満開です。
この3日間 お天気がものすごくよかったので
「 満開になりました! 」 って感じの 今日の桜でした。
さぁ 平安神宮へ入りましょう。
応天門をくぐると ひ、ひ、ひろ〜い!
本当に広い、 まるで 天安門広場みたいに広いのです。
( 行ったことないけれど、それほど広く感じました。 )
案内図は 平安神宮のホームページより
大混みのバスで疲れていた私は 向こう側の本殿まで行くのも
しんどくなり ここで休んでいるよ、と主人に言ったほどです。
とにかくこの日は すごく暑かったし ましてや この広場、
みんなが歩くので すごく土埃っぽいのです。
皆さんマスクをしていても あちこちでくしゃみの 連続です。
主人には申し訳なかったけれど 私は ↑の案内図の赤い部分の
一番下の所の 応天門の横に 日陰の椅子スペースがあったので
そこで座っているから 一人でぐるっと回ってきてね、と
お願いしました。
主人は少し気を悪くしたようで せっかく来たのだから
お庭もきれいだし 一緒に見に行こうよ、と私を誘ったのですが
「 もういいの、もういいの、 ここから見てるだけでもう充分 」
と私は言って 一人長椅子に座りこみ 下を向いていました。
さすがに少しムッとした主人ですが 諦めたようで 一人
本殿に向かって 歩いて行ったのでした。。。
主人は神苑 ( 上の案内図の緑の部分 ) のきれいな桜の写真を
たくさん撮ってきてくれたので ご紹介します。
この神苑は 四季折々のお花が楽しめるようですが やはり春は
紅しだれ桜が 何百本もあるそうで 素晴らしくきれいでした。
それに 紅しだれ桜は八重なので 華やかな美しさがありました。
神苑に入らなくても 建物の後ろから せり出すように咲いている
桜を見れば さぞお庭は見事だろうと 外からでも 私には
そのきれいさが 想像できました。 ( 負けず嫌い? )
この日は結婚式も 行われていて 素晴らしいお天気のもと
たくさんの観光客に祝福されたお式は さぞ 思い出深いものに
なった事でしょう。 本当にお天気が良くてよかったですね。
お庭めぐりから主人も戻り さぁ きた道を帰りましょう。
琵琶湖疎水には船も出ていて 川面からも桜が楽しめるようでした。
お昼は日本料理を予約していましたので 平安神宮から歩いてぶらぶら。
20分ほど歩きました。
着いたところは 「 粟田山荘 」 です。
( ウエスティン都ホテルのすぐ近くです )
折角京都に来たのだから 京料理を頂こうと思い 事前にいろいろと
探しましたが 予約が取れなかったり あまりにもお高かったりで
なかなか 良いお店がなかったのですが 予算オーバーでしたが
お庭もきれいだし お料理も 器も 素晴らしいと評判の
「 粟田山荘 」 を予約することができました。
この粟田山荘は 西陣織の織元さんの別荘だったところで
贅を尽くした建物とお庭が有名な 料理旅館です。
この4月から 京都ホテルオークラの別邸「 京料理 粟田山荘 」
となり 今はお食事だけを提供しています。
なにせ 4月の桜の時期の土曜日、 お店はどこもいっぱいなのです。
粟田山荘に電話した時も 最初は いっぱいと断りかけられたのですが
ちょっと ねばってみたら
「 お茶室でよければ なんとかご用意できますが。。。 」
というお返事。
お茶室でよければ。。。って なにか不都合があるのかしら?
と思い 窓がないのですか?とか お庭に面していないのですか?
とか すこぶる狭いのですか? といろいろと探ったのですが
そのどれにもあてはまらず これと言ってマイナス面はないようだったので
それなら そのお部屋で、とお願いをしました。
その電話で メニュー選びも尋ね お値段の差や 器のことなど
詳しくお聞きしました。
お昼のコースは4コースあり
ひがしやま 8400円 お抹茶 お菓子なし フルーツで終わり
けあげ 10500円 鉢物なし お刺身の種類がちがう
しらかわ 12600円 フルコース
あわた 15750円
( すべて 税 サ 込 )
の4種類、他に 少しお安い桜の季節のお弁当もあるようでした。
私が詳しくメニューを聞いたり 写真を撮りたいなど所望したら
それなら ぜひ 「 しらかわ 」 をと 勧められました。
器もきれいだし お料理も吟味してあるので このコースなら
満足していただけるから ぜひ そうなさい、と勧められました。
そして 最初は前日までに お部屋を調節すると言っていたのに
この話し合いの後は もう 個室のお部屋をとっておきますね、と
えらく 好意的に 予約を受けて下さいました。
( あとで このやり取りを 主人に言ったら
そりゃ 向こうも 高いコースを勧めるだろうよ〜
一見さんは 値段の順に お部屋も割り振るんだろうよ〜と、
すこし 嫌みに言っていました。 )
で ↑の写真 ( お茶室ではない ) 個室に案内されました。
案内されたお部屋は お庭に面した和室で テーブルの席でした。
( 写真では 少しくすんだお部屋に写っていますが
本当はもっと品のある広い 明るいお部屋です )
案内されると 係の方が 窓をさ〜っと開け放ち
「 この季節は 外の空気も ご馳走ですね〜 」 と
言って 爽やかな 4月の外気を入れてくれました。
( いや〜 素晴らしいね、このセリフ、
みんなに言ってるんだろうけど。。。 )
それで 私の予約時の電話を思い出したのでしょう、
「 さぁ、さぁ〜 お隣の広いお部屋は まだお客様は入って
いませんので よろしかったらご案内しますので
どうぞ 写真なり お撮り下さい 」 といって お隣のお部屋に
案内してくれました。
それならばと、 いそいそと出向く私たち。
すごい広いお部屋、 まして 角部屋!
2面ガラス張り、 う〜ん 素晴らしい 日本建築!
写真撮りまくりの2人でした。
こんなところで 結納でもしてみたいよ〜
さて さて 自分のお部屋に戻り お昼のスタートです。
「 お昼ですので お茶でよろしいですよね 」 と係の女性。
( こういう言い方は嬉しいですね〜 )
もちろん お酒は頂かない予定だったのですが
( 何せ予算オーバーだからね )
でもそう言われると なんだか暑いので 喉が渇いたね〜と
ビールをもらう あまのじゃくな私たちでした。
春満載の お献立ですね。
こちらの係の方は すべて女性で 昨日の天ぷら屋さんよりも
少し上であろうお歳の人たちです。
私より10歳くらい上、以上かな〜
その数 何人いるの? って言うくらい 沢山いるんです、係の人。
お料理ごとに 違う係の人が持ってきてくれます。
そのうえ さすがプロっていう仕事ぶりです。
お食事の内容の説明もきちんと把握していますし
ちょっとした ころ合いのお話も見事な プロの接客ぶりです。
素人っぽさのない接客で ( 私はこういう接客が好きなので )
これはこれで とても安心して お料理を頂くことができました。
以前の 湯河原の海石榴の時のしどろもどろの接客は
こちらが心配してしまっって かえって気を使ってしまうので
こうしたプロの接客のほうが 私は好きなのです。
お品書きがなかったので それを訪ねると 係の方は 快く
「 板場で書いてもらってきますので しばらくお待ちくださいね。」
と言って しばらくして↑の お品書きを 持って来てくれました。
こんなに きちんと印刷してあるなんて 前からあるんじゃないかしら?
( だったら出せばいいのにね〜 )
と思いましたが 基本的には 出していないようでした。
( もしかして 今 本当にパソコンでうってくれたのかしら? )
色違いの器もきれいだったし 筍の取り皿も模様違いだったし
最後の御飯は 主人の大好きな 豆ご飯だったので
大満足なお昼になりました。
そしてお抹茶の前に出てきたのが 苺とマンゴーなのですが
この苺の大きいこと大きいこと!
隣に 私の携帯を置いた写真を撮りましたが すご〜く大きいんですよ。
7,8センチはあろうかという 大きな 上賀茂産の苺。
苺もマンゴーも 甘くて 本当においしく頂きました。
さて この12600円というお値段の中身は 食材もありますが
やはりサービスなどの+アルファーなんですね。
こちらの係の女性陣が来ていたものは 和服なんですが
この着物、皆さん 自前なのです。 ( たぶん )
というのも それぞれ違う着物をきているんです、
それもきちんとした絹の薄物です。
季節がら 桜模様の着物や 春を思わせる柄の着物や帯を
皆さん合わせていました。
そんな係の方たちの着物も 楽しませていただきました。
ふ〜ん 係の人の装い一つも この粟田山荘という格に
現れているんだね〜 と感心しました。
それが このお値段にも反映しているのでしょう。
たたずまいは とても地味な奥深い感じでしたが
お料理や器はとても華麗で 気持ちも華やぎました。
お昼にこのお値段は かなり思い切ったものだったので
予約前に 主人に了解をとりましたが 主人は
「 しょうがないね〜 私がダメっていっても
あなたはそうしたいんでしょ? 」 と言って 半ば 最初から
あきらめたような態度でしたが
さすがに 最後の苺を見たら 「 このお値段もありえるね〜 」 と
いたく 感心していたほどです。
ごちそうさまでした。
お昼を頂いたあとは 京都駅まで地下鉄で移動しました。
私たちは 帰るのですが 駅にはたくさんの観光客が
続々と 訪れていました。 ( この日は土曜日だったので )
長らくお付き合いいただいた 京都桜旅行、
別名 グルメ旅行 ( と主人は言っていましたが )
これで おしまいです。
天候に恵まれ 京都の桜は この世のものと思えないほどの
桃源郷のようで 大変思い出深いものになりました。
この先 何度も何度も見たい 桜でした。
「 紀子の部屋 」 へどうぞ
長らく引っ張っています 京都桜旅行 今回が最終回です。
2日目のホテル予約は 近畿日本ツーリスト経由でしたので
ホテルの朝食が付いていました。
桜が望めるフロアーで フルーツ中心の朝食を頂いて さぁ出発です。
この日は土曜日だったので 京都の街中は大混雑!
バスで 平安神宮まで行ったのですが そのバスの中も大混雑!
京都駅からの大勢の観光客で バスの中はすでに身動きできないほど
でしたが 無理やり乗り込んだ私たち、 汗びっしょりになるほどで
既に 車中でぐったりの私でした。
私たちは 琵琶湖疎水に咲く桜を見ながら行きたかったので
一つ手前のバス停で降りましたが 降りるのも大変でした。
今を盛りの岡崎の桜が咲き誇っている琵琶湖疎水を見ながら
参道を北へすすみます。
鳥居をくぐった先にある公園に咲いていた 見事な桜!
きれい! 青空に映えて なおきれい!
ちょうど 満開です。
この3日間 お天気がものすごくよかったので
「 満開になりました! 」 って感じの 今日の桜でした。
さぁ 平安神宮へ入りましょう。
応天門をくぐると ひ、ひ、ひろ〜い!
本当に広い、 まるで 天安門広場みたいに広いのです。
( 行ったことないけれど、それほど広く感じました。 )
案内図は 平安神宮のホームページより
大混みのバスで疲れていた私は 向こう側の本殿まで行くのも
しんどくなり ここで休んでいるよ、と主人に言ったほどです。
とにかくこの日は すごく暑かったし ましてや この広場、
みんなが歩くので すごく土埃っぽいのです。
皆さんマスクをしていても あちこちでくしゃみの 連続です。
主人には申し訳なかったけれど 私は ↑の案内図の赤い部分の
一番下の所の 応天門の横に 日陰の椅子スペースがあったので
そこで座っているから 一人でぐるっと回ってきてね、と
お願いしました。
主人は少し気を悪くしたようで せっかく来たのだから
お庭もきれいだし 一緒に見に行こうよ、と私を誘ったのですが
「 もういいの、もういいの、 ここから見てるだけでもう充分 」
と私は言って 一人長椅子に座りこみ 下を向いていました。
さすがに少しムッとした主人ですが 諦めたようで 一人
本殿に向かって 歩いて行ったのでした。。。
主人は神苑 ( 上の案内図の緑の部分 ) のきれいな桜の写真を
たくさん撮ってきてくれたので ご紹介します。
この神苑は 四季折々のお花が楽しめるようですが やはり春は
紅しだれ桜が 何百本もあるそうで 素晴らしくきれいでした。
それに 紅しだれ桜は八重なので 華やかな美しさがありました。
神苑に入らなくても 建物の後ろから せり出すように咲いている
桜を見れば さぞお庭は見事だろうと 外からでも 私には
そのきれいさが 想像できました。 ( 負けず嫌い? )
この日は結婚式も 行われていて 素晴らしいお天気のもと
たくさんの観光客に祝福されたお式は さぞ 思い出深いものに
なった事でしょう。 本当にお天気が良くてよかったですね。
お庭めぐりから主人も戻り さぁ きた道を帰りましょう。
琵琶湖疎水には船も出ていて 川面からも桜が楽しめるようでした。
お昼は日本料理を予約していましたので 平安神宮から歩いてぶらぶら。
20分ほど歩きました。
着いたところは 「 粟田山荘 」 です。
( ウエスティン都ホテルのすぐ近くです )
折角京都に来たのだから 京料理を頂こうと思い 事前にいろいろと
探しましたが 予約が取れなかったり あまりにもお高かったりで
なかなか 良いお店がなかったのですが 予算オーバーでしたが
お庭もきれいだし お料理も 器も 素晴らしいと評判の
「 粟田山荘 」 を予約することができました。
この粟田山荘は 西陣織の織元さんの別荘だったところで
贅を尽くした建物とお庭が有名な 料理旅館です。
この4月から 京都ホテルオークラの別邸「 京料理 粟田山荘 」
となり 今はお食事だけを提供しています。
なにせ 4月の桜の時期の土曜日、 お店はどこもいっぱいなのです。
粟田山荘に電話した時も 最初は いっぱいと断りかけられたのですが
ちょっと ねばってみたら
「 お茶室でよければ なんとかご用意できますが。。。 」
というお返事。
お茶室でよければ。。。って なにか不都合があるのかしら?
と思い 窓がないのですか?とか お庭に面していないのですか?
とか すこぶる狭いのですか? といろいろと探ったのですが
そのどれにもあてはまらず これと言ってマイナス面はないようだったので
それなら そのお部屋で、とお願いをしました。
その電話で メニュー選びも尋ね お値段の差や 器のことなど
詳しくお聞きしました。
お昼のコースは4コースあり
ひがしやま 8400円 お抹茶 お菓子なし フルーツで終わり
けあげ 10500円 鉢物なし お刺身の種類がちがう
しらかわ 12600円 フルコース
あわた 15750円
( すべて 税 サ 込 )
の4種類、他に 少しお安い桜の季節のお弁当もあるようでした。
私が詳しくメニューを聞いたり 写真を撮りたいなど所望したら
それなら ぜひ 「 しらかわ 」 をと 勧められました。
器もきれいだし お料理も吟味してあるので このコースなら
満足していただけるから ぜひ そうなさい、と勧められました。
そして 最初は前日までに お部屋を調節すると言っていたのに
この話し合いの後は もう 個室のお部屋をとっておきますね、と
えらく 好意的に 予約を受けて下さいました。
( あとで このやり取りを 主人に言ったら
そりゃ 向こうも 高いコースを勧めるだろうよ〜
一見さんは 値段の順に お部屋も割り振るんだろうよ〜と、
すこし 嫌みに言っていました。 )
で ↑の写真 ( お茶室ではない ) 個室に案内されました。
案内されたお部屋は お庭に面した和室で テーブルの席でした。
( 写真では 少しくすんだお部屋に写っていますが
本当はもっと品のある広い 明るいお部屋です )
案内されると 係の方が 窓をさ〜っと開け放ち
「 この季節は 外の空気も ご馳走ですね〜 」 と
言って 爽やかな 4月の外気を入れてくれました。
( いや〜 素晴らしいね、このセリフ、
みんなに言ってるんだろうけど。。。 )
それで 私の予約時の電話を思い出したのでしょう、
「 さぁ、さぁ〜 お隣の広いお部屋は まだお客様は入って
いませんので よろしかったらご案内しますので
どうぞ 写真なり お撮り下さい 」 といって お隣のお部屋に
案内してくれました。
それならばと、 いそいそと出向く私たち。
すごい広いお部屋、 まして 角部屋!
2面ガラス張り、 う〜ん 素晴らしい 日本建築!
写真撮りまくりの2人でした。
こんなところで 結納でもしてみたいよ〜
さて さて 自分のお部屋に戻り お昼のスタートです。
「 お昼ですので お茶でよろしいですよね 」 と係の女性。
( こういう言い方は嬉しいですね〜 )
もちろん お酒は頂かない予定だったのですが
( 何せ予算オーバーだからね )
でもそう言われると なんだか暑いので 喉が渇いたね〜と
ビールをもらう あまのじゃくな私たちでした。
春満載の お献立ですね。
こちらの係の方は すべて女性で 昨日の天ぷら屋さんよりも
少し上であろうお歳の人たちです。
私より10歳くらい上、以上かな〜
その数 何人いるの? って言うくらい 沢山いるんです、係の人。
お料理ごとに 違う係の人が持ってきてくれます。
そのうえ さすがプロっていう仕事ぶりです。
お食事の内容の説明もきちんと把握していますし
ちょっとした ころ合いのお話も見事な プロの接客ぶりです。
素人っぽさのない接客で ( 私はこういう接客が好きなので )
これはこれで とても安心して お料理を頂くことができました。
以前の 湯河原の海石榴の時のしどろもどろの接客は
こちらが心配してしまっって かえって気を使ってしまうので
こうしたプロの接客のほうが 私は好きなのです。
お品書きがなかったので それを訪ねると 係の方は 快く
「 板場で書いてもらってきますので しばらくお待ちくださいね。」
と言って しばらくして↑の お品書きを 持って来てくれました。
こんなに きちんと印刷してあるなんて 前からあるんじゃないかしら?
( だったら出せばいいのにね〜 )
と思いましたが 基本的には 出していないようでした。
( もしかして 今 本当にパソコンでうってくれたのかしら? )
色違いの器もきれいだったし 筍の取り皿も模様違いだったし
最後の御飯は 主人の大好きな 豆ご飯だったので
大満足なお昼になりました。
そしてお抹茶の前に出てきたのが 苺とマンゴーなのですが
この苺の大きいこと大きいこと!
隣に 私の携帯を置いた写真を撮りましたが すご〜く大きいんですよ。
7,8センチはあろうかという 大きな 上賀茂産の苺。
苺もマンゴーも 甘くて 本当においしく頂きました。
さて この12600円というお値段の中身は 食材もありますが
やはりサービスなどの+アルファーなんですね。
こちらの係の女性陣が来ていたものは 和服なんですが
この着物、皆さん 自前なのです。 ( たぶん )
というのも それぞれ違う着物をきているんです、
それもきちんとした絹の薄物です。
季節がら 桜模様の着物や 春を思わせる柄の着物や帯を
皆さん合わせていました。
そんな係の方たちの着物も 楽しませていただきました。
ふ〜ん 係の人の装い一つも この粟田山荘という格に
現れているんだね〜 と感心しました。
それが このお値段にも反映しているのでしょう。
たたずまいは とても地味な奥深い感じでしたが
お料理や器はとても華麗で 気持ちも華やぎました。
お昼にこのお値段は かなり思い切ったものだったので
予約前に 主人に了解をとりましたが 主人は
「 しょうがないね〜 私がダメっていっても
あなたはそうしたいんでしょ? 」 と言って 半ば 最初から
あきらめたような態度でしたが
さすがに 最後の苺を見たら 「 このお値段もありえるね〜 」 と
いたく 感心していたほどです。
ごちそうさまでした。
お昼を頂いたあとは 京都駅まで地下鉄で移動しました。
私たちは 帰るのですが 駅にはたくさんの観光客が
続々と 訪れていました。 ( この日は土曜日だったので )
長らくお付き合いいただいた 京都桜旅行、
別名 グルメ旅行 ( と主人は言っていましたが )
これで おしまいです。
天候に恵まれ 京都の桜は この世のものと思えないほどの
桃源郷のようで 大変思い出深いものになりました。
この先 何度も何度も見たい 桜でした。
2009年05月22日
2009 京都桜旅行 二日目2 ( お座敷天ぷら おおざわ )
2005年9月から 2007年11月前半までのブログは
「 紀子の部屋 」 へどうぞ
京都旅行2日目 夕食は 白川通り沿いのお店です。
↑この写真 夕暮れの白川通りですが とても気に入っています。
JR東海のポスターにでもならないかしら?
( でも電線が 邪魔ですね )
ここ白川通りは 以前もご紹介しましたとおり
「 祇園新橋伝統的建造物群保存地区 」 に認定されていて
昔の京都の町家の風情を残す 洗練された通りになっています。
その川沿いには 桜と柳が 植えられていて 桜の白ピンクと柳の緑が
夕方には もやがかかったように西日を浴びて
それはそれは情緒溢れる素敵な佇まいを みせていました。
この日は 金曜日と言うことで 大勢の観光客や 地元の人で
大賑わいでした。
でも こんな桜の時期に しかも週末だというのに
( この辺りの飲食店は 昨年だと 1ヶ月前くらいから予約も一杯で
受け付けてもらえないところばかりでしたが )
この日は 6時過ぎにもかかわらず
「 まだ 川沿いの窓際席空いてます 」 などと言って
お店のチラシを配っている従業員の方が何人かいました。
本当に窓際席が ぜんぜん埋まっていないお店もあったほどです。
やっぱり不景気なのかしら?
この辺りのお店では 夕食は 安く見積もっても5千円はするからね〜
この桜見物の人たちは この後は 一体どこに行くのかしら?
私は何度かこの川沿いの道に来ていますが 未だに橋を渡って
川の向う側のお店に入ったことがありません。
今度こそ 川を渡って 向かいのお店に入りたかった私は
(なぜか橋を渡ると セレブの世界が広がっているような気がして )
事前に色々と調べ 主人も喜びそうな そしてお値段もお手ごろな
お店を見つけました。
それが 「 お座敷てんぷら おおざわ 」 です。
お店に入る橋の手前には ライトに照らされてメニューの黒板が
ありますが 外国人御用達のようですね、英語も書いてあります。
では 橋を渡りましょう。
元・芸奴さんのお住まいだったというお店は 本当に普通の家です。
お玄関を入ると 左手に和室 ( この窓からは桜が見えるようです )
奥に入ると あまり広いお部屋ではありませんが 10人ほど座れる
L字のカウンターがあり 中でてんぷらを揚げるようになっています。
この日は 外国人を含む会社員風の接待グループ、 外国人観光客夫婦
お若いカップル そして私達夫婦でした。
( 10人中5人が 外国の方でした。 )
可愛いイラスト入りのメニューは 外国人でなくても便利ですね。
てんぷら12品コースが3990円で お刺身付きが5250円です。
私たちは てんぷらを食べに来たので もち! 3990円!
てんぷらは おおむねこのとおりに出てきますが 野菜が季節によって
変わるようです。
揚げているのは 中年の女性ですが 会話は全くありません。
黙々と揚げています。
皆さん、グループ毎にお食事の進みが違うので
( もう一つのお部屋のてんぷらもここで揚げているようでした )
揚げている人は 大忙しですし火加減など色々気を使っているようで
こちらからは 声をかけにくい雰囲気でした。
途中 お給仕をしてくれる女性が たまに お話するくらいで
全く カウンターの中と外との会話のやり取りはありません。
以前 ハイアットリージェンシー箱根に行った時
カウンターでお寿司を頂いたのですが そこの板さんは
英語で外国の方とも お話されていましたし
いろいろと食材についても お話してくれたりもしました。
やはり お寿司とてんぷらでは 違うのでしょうね。
火を使うから 話していると 危ないのかもね。
てんぷらは1品つづ出てきますので 本当に揚げたてがいただけます。
次は何かしら? とか 英語でこう言うんだね〜 なんて会話をしながら
( 夫婦で ) 美味しくいただきました。
最後は かき揚げですが 天丼か 天茶を選べます。
私以外の人は みなさん 天丼を選択していました。
この最後の選択ご飯で かなりおなか一杯になりましたので
3900円と言うお値段は すごくお値打ちと感じました。
でも、でも。。。
揚げている人もお給仕の人も スタッフは皆女性なのです。
それも皆さん、中年の女性で 私と同じくらいのお歳なんです。
だから なんだか 申し訳ないのよ。
同い年の人に揚げてもらって 同い年の私が食べるのって。
主人にしても 私に揚げてもらってるような気がするでしょう?
それにカウンターてんぷらって 普通は 揚げる人は白いYシャツに
ネクタイ締めて 真っ白の上っ張りを着て、 というイメージが
あるでしょう?
でもここは 普通の黒いTシャツみたいなの着てるのよ、みんな。
それも完全に自前の。 だから 黒だけど 人それぞれ違うのよ。。
「 家にある黒っぽいもの着てきてね〜 」 みたいな。
なんだか 主婦の店 って感じがしたの。
( もしかして 「主婦の店」 でうってる店なのかしら? )
「 あら〜 ○○さん、 ここで働いていたの? 」 みたいな…
「 そうなのよ〜 ▼▼さんも一緒に働いてるのよ〜 」 的な…
ちょっと非日常じゃなくて まるっきり日常感タップリな感じでした。
外国の人とか お若い人には問題ないのよ。
でも 私達くらいの人には ちょっと う〜ん的な。
こんなに美味しくて 素敵な空間があるのに、
それがちょっともったいないかな〜
でもこれで皆、従業員の女性陣が お揃いの制服着たら
一気に倍くらいに上がるんでしょうね、 お値段が。
( 少なくても五千円は取れるよね )
( これは私の感想なので 皆さんがこう感じることはないかも )
何せ私は 橋を渡ったら セレブの世界が広がっていると思い
「 今年こそは 橋を渡ってやるぞ〜 」 くらいの
意気込みで来たものだから ちょっと 拍子抜けしました。
あらっ、 家で私が天ぷら揚げてる感じだわ〜 なんてね。
でもこのお値段なら 皆さんに勧められますね。
京都に行ったら 是非 この日常感 味わってください。
でもそれ以外は 本当に美味しかったのよ、主人も大満足でした。
( お安くて満足なのに これ以上求めるのは 酷だね )
( 後から ネットでお店の案内を読んでみたら
「 家に戻ったようにほっこりと迎えてくれる 」
って書いてありました。
あら〜 やっぱり 主婦の店で よかったのね?
私が勝手に セレブのお店と勘違いしていたのね〜 )
帰り道 ホテルを予約した際に おまけで頂いた井筒八ッ橋本舗の
お茶と御菓子の無料試食券があったので そこで一休みさせて頂き
リンゴの生八橋を いただきました。
そこから歩いて 八坂神社 〜 円山公園と 夜桜を楽しみましたが
白川では お客さんを呼び込んでいたお店もあったほどなのに
この公園では なんとお花見が大盛況でした。
なぁ〜んだ みんなこんなところにいたのね〜
すごい熱気で 皆さん 超、盛り上がっていました。
大勢で楽しそうだね〜
ホテルに帰ると ロビーの飾りが変わっていました。
夕方までは 桜が飾ってあったのに 五月人形に変わっていました。
季節の先取りですね。
さて 京都桜旅行、 最終日の明日は 平安神宮を巡り
お昼は 京料理を楽しむ予定です。
「 紀子の部屋 」 へどうぞ
京都旅行2日目 夕食は 白川通り沿いのお店です。
↑この写真 夕暮れの白川通りですが とても気に入っています。
JR東海のポスターにでもならないかしら?
( でも電線が 邪魔ですね )
ここ白川通りは 以前もご紹介しましたとおり
「 祇園新橋伝統的建造物群保存地区 」 に認定されていて
昔の京都の町家の風情を残す 洗練された通りになっています。
その川沿いには 桜と柳が 植えられていて 桜の白ピンクと柳の緑が
夕方には もやがかかったように西日を浴びて
それはそれは情緒溢れる素敵な佇まいを みせていました。
この日は 金曜日と言うことで 大勢の観光客や 地元の人で
大賑わいでした。
でも こんな桜の時期に しかも週末だというのに
( この辺りの飲食店は 昨年だと 1ヶ月前くらいから予約も一杯で
受け付けてもらえないところばかりでしたが )
この日は 6時過ぎにもかかわらず
「 まだ 川沿いの窓際席空いてます 」 などと言って
お店のチラシを配っている従業員の方が何人かいました。
本当に窓際席が ぜんぜん埋まっていないお店もあったほどです。
やっぱり不景気なのかしら?
この辺りのお店では 夕食は 安く見積もっても5千円はするからね〜
この桜見物の人たちは この後は 一体どこに行くのかしら?
私は何度かこの川沿いの道に来ていますが 未だに橋を渡って
川の向う側のお店に入ったことがありません。
今度こそ 川を渡って 向かいのお店に入りたかった私は
(なぜか橋を渡ると セレブの世界が広がっているような気がして )
事前に色々と調べ 主人も喜びそうな そしてお値段もお手ごろな
お店を見つけました。
それが 「 お座敷てんぷら おおざわ 」 です。
お店に入る橋の手前には ライトに照らされてメニューの黒板が
ありますが 外国人御用達のようですね、英語も書いてあります。
では 橋を渡りましょう。
元・芸奴さんのお住まいだったというお店は 本当に普通の家です。
お玄関を入ると 左手に和室 ( この窓からは桜が見えるようです )
奥に入ると あまり広いお部屋ではありませんが 10人ほど座れる
L字のカウンターがあり 中でてんぷらを揚げるようになっています。
この日は 外国人を含む会社員風の接待グループ、 外国人観光客夫婦
お若いカップル そして私達夫婦でした。
( 10人中5人が 外国の方でした。 )
可愛いイラスト入りのメニューは 外国人でなくても便利ですね。
てんぷら12品コースが3990円で お刺身付きが5250円です。
私たちは てんぷらを食べに来たので もち! 3990円!
てんぷらは おおむねこのとおりに出てきますが 野菜が季節によって
変わるようです。
揚げているのは 中年の女性ですが 会話は全くありません。
黙々と揚げています。
皆さん、グループ毎にお食事の進みが違うので
( もう一つのお部屋のてんぷらもここで揚げているようでした )
揚げている人は 大忙しですし火加減など色々気を使っているようで
こちらからは 声をかけにくい雰囲気でした。
途中 お給仕をしてくれる女性が たまに お話するくらいで
全く カウンターの中と外との会話のやり取りはありません。
以前 ハイアットリージェンシー箱根に行った時
カウンターでお寿司を頂いたのですが そこの板さんは
英語で外国の方とも お話されていましたし
いろいろと食材についても お話してくれたりもしました。
やはり お寿司とてんぷらでは 違うのでしょうね。
火を使うから 話していると 危ないのかもね。
てんぷらは1品つづ出てきますので 本当に揚げたてがいただけます。
次は何かしら? とか 英語でこう言うんだね〜 なんて会話をしながら
( 夫婦で ) 美味しくいただきました。
最後は かき揚げですが 天丼か 天茶を選べます。
私以外の人は みなさん 天丼を選択していました。
この最後の選択ご飯で かなりおなか一杯になりましたので
3900円と言うお値段は すごくお値打ちと感じました。
でも、でも。。。
揚げている人もお給仕の人も スタッフは皆女性なのです。
それも皆さん、中年の女性で 私と同じくらいのお歳なんです。
だから なんだか 申し訳ないのよ。
同い年の人に揚げてもらって 同い年の私が食べるのって。
主人にしても 私に揚げてもらってるような気がするでしょう?
それにカウンターてんぷらって 普通は 揚げる人は白いYシャツに
ネクタイ締めて 真っ白の上っ張りを着て、 というイメージが
あるでしょう?
でもここは 普通の黒いTシャツみたいなの着てるのよ、みんな。
それも完全に自前の。 だから 黒だけど 人それぞれ違うのよ。。
「 家にある黒っぽいもの着てきてね〜 」 みたいな。
なんだか 主婦の店 って感じがしたの。
( もしかして 「主婦の店」 でうってる店なのかしら? )
「 あら〜 ○○さん、 ここで働いていたの? 」 みたいな…
「 そうなのよ〜 ▼▼さんも一緒に働いてるのよ〜 」 的な…
ちょっと非日常じゃなくて まるっきり日常感タップリな感じでした。
外国の人とか お若い人には問題ないのよ。
でも 私達くらいの人には ちょっと う〜ん的な。
こんなに美味しくて 素敵な空間があるのに、
それがちょっともったいないかな〜
でもこれで皆、従業員の女性陣が お揃いの制服着たら
一気に倍くらいに上がるんでしょうね、 お値段が。
( 少なくても五千円は取れるよね )
( これは私の感想なので 皆さんがこう感じることはないかも )
何せ私は 橋を渡ったら セレブの世界が広がっていると思い
「 今年こそは 橋を渡ってやるぞ〜 」 くらいの
意気込みで来たものだから ちょっと 拍子抜けしました。
あらっ、 家で私が天ぷら揚げてる感じだわ〜 なんてね。
でもこのお値段なら 皆さんに勧められますね。
京都に行ったら 是非 この日常感 味わってください。
でもそれ以外は 本当に美味しかったのよ、主人も大満足でした。
( お安くて満足なのに これ以上求めるのは 酷だね )
( 後から ネットでお店の案内を読んでみたら
「 家に戻ったようにほっこりと迎えてくれる 」
って書いてありました。
あら〜 やっぱり 主婦の店で よかったのね?
私が勝手に セレブのお店と勘違いしていたのね〜 )
帰り道 ホテルを予約した際に おまけで頂いた井筒八ッ橋本舗の
お茶と御菓子の無料試食券があったので そこで一休みさせて頂き
リンゴの生八橋を いただきました。
そこから歩いて 八坂神社 〜 円山公園と 夜桜を楽しみましたが
白川では お客さんを呼び込んでいたお店もあったほどなのに
この公園では なんとお花見が大盛況でした。
なぁ〜んだ みんなこんなところにいたのね〜
すごい熱気で 皆さん 超、盛り上がっていました。
大勢で楽しそうだね〜
ホテルに帰ると ロビーの飾りが変わっていました。
夕方までは 桜が飾ってあったのに 五月人形に変わっていました。
季節の先取りですね。
さて 京都桜旅行、 最終日の明日は 平安神宮を巡り
お昼は 京料理を楽しむ予定です。
2009年05月16日
2009 京都桜旅行 二日目 ( 原谷苑 〜 仁和寺 )
今回の京都旅行の一番の目的 「 原谷苑 」 の桜です。
まずはご覧ください!
この 「 原谷苑 」、 毎年この時期に京都を訪れている友人から
昨年 お話を伺いました。
それはそれは素晴らしいということで 私も 事前にネットで調べましたら
皆さん 「 この桜を見ずして 死ねない! 」 と書いてあるほど
行った方々は 絶賛していました。
そう聞いちゃ〜 行かないわけにはいきません。
とにかく 元気なうちに行っとかなきゃ、ということで
主人のその事を言ったら えぇ〜 そう〜? なんて冷めた感じでしたが
とにかく行ってこよう!と 即決め。
市中の桜より少し開花が遅いという情報で 満開の時期にどんぴしゃりと
あてることが至難の技でした。
が 今回は めでたく時期はばっちりで 8〜9分咲きでした!
朝食を 伊右衛門サロンで取る予定だった私たちは 地下鉄の駅で
地下鉄 市バスが乗れる 「 トラフィカ京カード 」 を購入。
パスネットのような プリペイドカードです。
このカードは 地下鉄→市バス (その逆も 同じもあり)
乗り継ぎだと運賃の割引があるので 多少お得でした。
( でも 1日に何度もバスや地下鉄を利用するなら
「 京都観光一日乗車券 」 の方がお得です。 )
↑の写真の 黄色の路線バスで金閣寺前まで行き ( 20〜30分 )
そこからはタクシーで 800円の 「 原谷苑 」 です。
この原谷苑、 通常は 普通の農園なのですが この桜の時期のみ
一般に開放するそうで 入場料は なんと時価だそうなんです。
つまり 開花の状態に合わせて 値段が決まるので
最高は平日1200円 休日1500円になります。
( 追記、平日でも満開日は1500円のようです )
地元のタクシーの運転手さんいわく 昨日は千円だったよ、と
でも昨日は 気温がとても上がったので 今日あたり値上がりしている
かもね〜ということでしたが まさしく この日から平日の最高額の
1200円になっていました。
それはそれは広い敷地に 本当にたくさんの木々の花が
今を盛りに咲き誇っています。
桜は 紅しだれ桜が中心で 濃いピンク色で素晴らしくきれいです。
以前は ご近所や親せきの方々を呼んで 庭ですき焼きをして
お花見を楽しんでいたそうですが あまりの見事さが評判をうみ
今では一般に公開しているそうなんです。
この日もたくさんの人でにぎわったいましたが
バスツアーのお客様が多いようでした。
入口に書いてある注意書きや ホームページにもいろいろと注意書きが
書いてあって それを見た主人は
「 いろいろと制約の多いところだね〜
なんか もうけ主義なんじゃないの? 」
と 事前に言っていましたし 行きのタクシーの運転手さんも
ここの経営者は 相当 もうかっているらしいですよ〜、と。
なんでも この時期だけで うん千万 もうかっているとか。。。
( 何千万円だったか忘れました、 聞いたあとすぐに計算してみた
のですが 何せ聞いてからせ時間がたってますから。。。 )
と、あまり好意的ではないようなお話をしていました。
入場料と 飲食代 (これが曲者で 苑内は 一切、飲食禁止です。)
で そのような もうけが出るとしたら それは相当たくさんの人が
入っているということですが この日は それも うなづけるほど
老若男女 たくさんの人でにぎわっていました。
それで たくさんの人が来るってことは その道々が渋滞したり
うるさかったりして 近燐に迷惑がかかるので 苑側では
入苑者にやたらうるさく 注意をしているらしいのです。
飲食禁止 三脚禁止 お昼は こちらで2500円以上頂く
予約者のみには 桟敷あり などなど。
そのうえ自家用車はだめなんです。 観光バスの乗りつけもダメ。
道が渋滞するからね。
つまりここに来るには 歩くか タクシーだけなのです。
タクシー乗降時も いろいろと規則があって ガードマンさんが
うるさく言うので いつも入口付近では タクシー運転手さんと
ガードマンさんが 喧嘩をしているそうです。
( 地元の運転者さんに言わせれば ガードマンの態度が悪いと )
運転手さんには 不評の 「 原谷苑 」 のようですよ。
この原谷苑が評判になったのも
「インターネットが普及した、この5〜6年前からなんですよ〜
その前はこんな辺鄙なところ 誰も来やしませんよ〜 」
との 運転手さんのお言葉でした。
帰って来てから 再び 原谷苑のホームページを見ていましたら
「 ガードマンの態度が悪いと ご指摘されていますが
それはこのような状況なのですからご理解を 」
みたいな記事が出ていました。
本当に運転者さんの言う通り ガードマンさんの態度は 入苑者にも
不愉快なほど かなり派手に喧嘩をしているようでした。
入苑者が増えることと 環境を守ることの共存は難しいですね。
でも 訪れてみると これだけの山々の木々を このように見事に
咲かせるには 相当のお手入れが必要なのがよく分かりました。
愛情を持って 毎日お世話をしていると 花も見事にこたえてくれる
のですね。
そのご苦労は 計り知れないものでしょう。
( 突然 好意的になる 私 )
本当に それはそれは見事でした。
主人も これはすごいね〜 これだけにするには大変だったろうね〜
とすっかり 気持ちも入れ替えて 広い敷地を回っていました。
木々は 整然と綺麗に並んでいるわけではなく 本当に ここかしこに
様々な木々と一緒に 生えているんです。
「 自宅の山 」 という感じで ただただ自然に生えていました。
↓この建物が すき焼きを食べるお座敷です。
お座敷の中でも 桜に囲まれている雰囲気です。
きれい〜、ほんとうにきれい〜
桃源郷とはこのことかしら? と思うほど きれい、きれい!!!
( でも すき焼き5800円ですって! 高いね〜 )
皆さん、幸せそうに 空を仰いでいました。
これで寿命が延びるのなら 本当に素敵なことだね〜
でも まるで別の世界に来たようで。。。
ちょっとそれが 不安?でしたが(汗) 来てよかったです。
京都の人には この 「原谷苑」 は 意外と知られていないようで
昨日ご一緒した 関西の友人も ご存じなかったし
夕食の 「 つじ華 」 のスタッフの方もご存じないとの事でした。
かえって 遠方のかたの方が 事前に情報を得てから行くので
良く知っているのかもしれませんね。
この先 ますます人気になる事でしょう、 原谷苑。
教えて下さったお友達は 私たちの2日後に 原谷苑を訪れました。
その様子は こちら です。
ありがとう! こんな素敵なところを教えてくれて。
紅葉の時期にも 開苑すると出ていましたので ぜひその頃に
京都にいらっしゃる方は 訪れてみてはいかがでしょうか?
秋は 入場料無料と出ていました。
( すき焼きも3800円だそうです )
さぁ〜 原谷苑を後にして 山道を 少しのぼって あとはただただ下って
仁和寺に出ました。 歩いて私で30分くらい。
このコースも お友達に教えて貰ったのですが
桜の色が仁和寺は薄いので 原谷のあとでは見ごたえが悪いので
本当は 仁和寺 〜 原谷が ベストなのよ、と。
でも それだと登り坂がきついのです。
なので やはり 原谷 〜 仁和寺 ルートがいいようです。
こちらは整然と きれいに桜が並んでいました。
参道には お茶屋さんも出て 華やかな雰囲気です。
有名な お室桜、 本来は かなり遅く咲くのだそうですが
連日の好天気のおかげで この日も すでに5,6分咲きで
充分楽しめました。
さてこちらで 軽くおうどんで昼食を取り 仁和寺を後にしました。
京都というには 私たち夫婦には外せない 用事があるんです。
そうです! 義父母のお墓参りなんです。
バスを乗り継いで行った大谷本廟も 桜が満開でした。
この内部の写真を見てもらえば分かるように 室内はどこも皆同じ
造りなので どこが 父母のお仏壇か いつも迷っています。
今回も階を間違え ちょっとあわてました。
( この仏壇は 個人でも持てるようですが 基本的には
寺院ごとに割り当てられていて その中に 何人かのお骨が
分骨されて入っているようです )
本当のお墓は 広島にあるのですが 今は実家もないので
これからは 京都に来る方が多くなりそうです。
でもそのようにしてくれた 父母には 感謝しなくてはね。
丁寧に お参りして 気持ちも楽になりました。
朝から 何度も バスを乗り継いでくるくる回っていましたので
疲れたので ちょっとホテルに戻って小休憩を取り
夕食に向かったのは 白川ぞいにある
京都祇園 お座敷天ぷら 「 おおざわ 」 です。
まずはご覧ください!
この 「 原谷苑 」、 毎年この時期に京都を訪れている友人から
昨年 お話を伺いました。
それはそれは素晴らしいということで 私も 事前にネットで調べましたら
皆さん 「 この桜を見ずして 死ねない! 」 と書いてあるほど
行った方々は 絶賛していました。
そう聞いちゃ〜 行かないわけにはいきません。
とにかく 元気なうちに行っとかなきゃ、ということで
主人のその事を言ったら えぇ〜 そう〜? なんて冷めた感じでしたが
とにかく行ってこよう!と 即決め。
市中の桜より少し開花が遅いという情報で 満開の時期にどんぴしゃりと
あてることが至難の技でした。
が 今回は めでたく時期はばっちりで 8〜9分咲きでした!
朝食を 伊右衛門サロンで取る予定だった私たちは 地下鉄の駅で
地下鉄 市バスが乗れる 「 トラフィカ京カード 」 を購入。
パスネットのような プリペイドカードです。
このカードは 地下鉄→市バス (その逆も 同じもあり)
乗り継ぎだと運賃の割引があるので 多少お得でした。
( でも 1日に何度もバスや地下鉄を利用するなら
「 京都観光一日乗車券 」 の方がお得です。 )
↑の写真の 黄色の路線バスで金閣寺前まで行き ( 20〜30分 )
そこからはタクシーで 800円の 「 原谷苑 」 です。
この原谷苑、 通常は 普通の農園なのですが この桜の時期のみ
一般に開放するそうで 入場料は なんと時価だそうなんです。
つまり 開花の状態に合わせて 値段が決まるので
最高は平日1200円 休日1500円になります。
( 追記、平日でも満開日は1500円のようです )
地元のタクシーの運転手さんいわく 昨日は千円だったよ、と
でも昨日は 気温がとても上がったので 今日あたり値上がりしている
かもね〜ということでしたが まさしく この日から平日の最高額の
1200円になっていました。
それはそれは広い敷地に 本当にたくさんの木々の花が
今を盛りに咲き誇っています。
桜は 紅しだれ桜が中心で 濃いピンク色で素晴らしくきれいです。
以前は ご近所や親せきの方々を呼んで 庭ですき焼きをして
お花見を楽しんでいたそうですが あまりの見事さが評判をうみ
今では一般に公開しているそうなんです。
この日もたくさんの人でにぎわったいましたが
バスツアーのお客様が多いようでした。
入口に書いてある注意書きや ホームページにもいろいろと注意書きが
書いてあって それを見た主人は
「 いろいろと制約の多いところだね〜
なんか もうけ主義なんじゃないの? 」
と 事前に言っていましたし 行きのタクシーの運転手さんも
ここの経営者は 相当 もうかっているらしいですよ〜、と。
なんでも この時期だけで うん千万 もうかっているとか。。。
( 何千万円だったか忘れました、 聞いたあとすぐに計算してみた
のですが 何せ聞いてからせ時間がたってますから。。。 )
と、あまり好意的ではないようなお話をしていました。
入場料と 飲食代 (これが曲者で 苑内は 一切、飲食禁止です。)
で そのような もうけが出るとしたら それは相当たくさんの人が
入っているということですが この日は それも うなづけるほど
老若男女 たくさんの人でにぎわっていました。
それで たくさんの人が来るってことは その道々が渋滞したり
うるさかったりして 近燐に迷惑がかかるので 苑側では
入苑者にやたらうるさく 注意をしているらしいのです。
飲食禁止 三脚禁止 お昼は こちらで2500円以上頂く
予約者のみには 桟敷あり などなど。
そのうえ自家用車はだめなんです。 観光バスの乗りつけもダメ。
道が渋滞するからね。
つまりここに来るには 歩くか タクシーだけなのです。
タクシー乗降時も いろいろと規則があって ガードマンさんが
うるさく言うので いつも入口付近では タクシー運転手さんと
ガードマンさんが 喧嘩をしているそうです。
( 地元の運転者さんに言わせれば ガードマンの態度が悪いと )
運転手さんには 不評の 「 原谷苑 」 のようですよ。
この原谷苑が評判になったのも
「インターネットが普及した、この5〜6年前からなんですよ〜
その前はこんな辺鄙なところ 誰も来やしませんよ〜 」
との 運転手さんのお言葉でした。
帰って来てから 再び 原谷苑のホームページを見ていましたら
「 ガードマンの態度が悪いと ご指摘されていますが
それはこのような状況なのですからご理解を 」
みたいな記事が出ていました。
本当に運転者さんの言う通り ガードマンさんの態度は 入苑者にも
不愉快なほど かなり派手に喧嘩をしているようでした。
入苑者が増えることと 環境を守ることの共存は難しいですね。
でも 訪れてみると これだけの山々の木々を このように見事に
咲かせるには 相当のお手入れが必要なのがよく分かりました。
愛情を持って 毎日お世話をしていると 花も見事にこたえてくれる
のですね。
そのご苦労は 計り知れないものでしょう。
( 突然 好意的になる 私 )
本当に それはそれは見事でした。
主人も これはすごいね〜 これだけにするには大変だったろうね〜
とすっかり 気持ちも入れ替えて 広い敷地を回っていました。
木々は 整然と綺麗に並んでいるわけではなく 本当に ここかしこに
様々な木々と一緒に 生えているんです。
「 自宅の山 」 という感じで ただただ自然に生えていました。
↓この建物が すき焼きを食べるお座敷です。
お座敷の中でも 桜に囲まれている雰囲気です。
きれい〜、ほんとうにきれい〜
桃源郷とはこのことかしら? と思うほど きれい、きれい!!!
( でも すき焼き5800円ですって! 高いね〜 )
皆さん、幸せそうに 空を仰いでいました。
これで寿命が延びるのなら 本当に素敵なことだね〜
でも まるで別の世界に来たようで。。。
ちょっとそれが 不安?でしたが(汗) 来てよかったです。
京都の人には この 「原谷苑」 は 意外と知られていないようで
昨日ご一緒した 関西の友人も ご存じなかったし
夕食の 「 つじ華 」 のスタッフの方もご存じないとの事でした。
かえって 遠方のかたの方が 事前に情報を得てから行くので
良く知っているのかもしれませんね。
この先 ますます人気になる事でしょう、 原谷苑。
教えて下さったお友達は 私たちの2日後に 原谷苑を訪れました。
その様子は こちら です。
ありがとう! こんな素敵なところを教えてくれて。
紅葉の時期にも 開苑すると出ていましたので ぜひその頃に
京都にいらっしゃる方は 訪れてみてはいかがでしょうか?
秋は 入場料無料と出ていました。
( すき焼きも3800円だそうです )
さぁ〜 原谷苑を後にして 山道を 少しのぼって あとはただただ下って
仁和寺に出ました。 歩いて私で30分くらい。
このコースも お友達に教えて貰ったのですが
桜の色が仁和寺は薄いので 原谷のあとでは見ごたえが悪いので
本当は 仁和寺 〜 原谷が ベストなのよ、と。
でも それだと登り坂がきついのです。
なので やはり 原谷 〜 仁和寺 ルートがいいようです。
こちらは整然と きれいに桜が並んでいました。
参道には お茶屋さんも出て 華やかな雰囲気です。
有名な お室桜、 本来は かなり遅く咲くのだそうですが
連日の好天気のおかげで この日も すでに5,6分咲きで
充分楽しめました。
さてこちらで 軽くおうどんで昼食を取り 仁和寺を後にしました。
京都というには 私たち夫婦には外せない 用事があるんです。
そうです! 義父母のお墓参りなんです。
バスを乗り継いで行った大谷本廟も 桜が満開でした。
この内部の写真を見てもらえば分かるように 室内はどこも皆同じ
造りなので どこが 父母のお仏壇か いつも迷っています。
今回も階を間違え ちょっとあわてました。
( この仏壇は 個人でも持てるようですが 基本的には
寺院ごとに割り当てられていて その中に 何人かのお骨が
分骨されて入っているようです )
本当のお墓は 広島にあるのですが 今は実家もないので
これからは 京都に来る方が多くなりそうです。
でもそのようにしてくれた 父母には 感謝しなくてはね。
丁寧に お参りして 気持ちも楽になりました。
朝から 何度も バスを乗り継いでくるくる回っていましたので
疲れたので ちょっとホテルに戻って小休憩を取り
夕食に向かったのは 白川ぞいにある
京都祇園 お座敷天ぷら 「 おおざわ 」 です。